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病状記録

          病               状
2000年
(平成12年)7月
       発端
000年
(平成12年)7月
      発  端
春頃から左腕、手首が滑らかに動かないと訴えるようになった。
7月路上で転倒し、顔面に擦過傷を負う大怪我をした。その後も頻繁に転倒を繰り返すようになった。
また、物が二重に見えるといって眼鏡を買い換えることを繰り返した。
脳波が狂ったと冗談を言いながら、近所の内科に初診。
 申告事項
  1)左腕、手首が滑らかに動かない。
  2)体の動きが鈍くなってよく転倒する。
  3)動く物がよく見えない、特に左側のものを見落とすようになった。
医師は脳腫瘍の可能性があるといって、すぐに総合病院にてCT検査の手配をしてくれた。

2001年
(平成13年)5月
  入 院・告 知
2000年9月CT検査、さらにMRI検査の結果脳腫瘍の疑いなしと診断されたが、パーキンソン病の疑いで、神経内科に通院することになった。

病状は進展し、転倒は頻繁となった。、
目の焦点が合わないので視力検査、眼鏡の交換しても効果はなかった。
左上肢が固縮が始まり、概ね90度以上に腕が上がらなくなった。

精密検査の必要があると指示され、医科大学付属病院へ検査入院し、当初パーキンソン症候群と診断された。
その後2回目の入院のときに進行性核上性麻痺と診断されたが、本人へは告示なかった。
診断書  寡動 左上下肢の巧微動作障害 体幹部の固縮 垂直方向の眼球運動不能
2001年
(平成13年)12月ごろまで
(入退院の繰返し)
約一年の間に3回入退院を繰り返し、投薬の種類、量の微調整を行うも症状は進行するばかりであった。抗パーキンソン薬はあまり効果なかった。

転倒は頻繁となり1日に数回、庭仕事中に仰向けに倒れ庭木や鉢植えを壊す、屋内では無意識に近くにあるものを掴もうとしてバランスを崩しカーテンを引きちぎるなどが重なった。

外見上斜視が顕著となり、目の焦点が合ず見にくいので、視力検査、眼鏡を買い替えるが改善しなかった。字がかけない(横書きの場合、次第に右下がりに小さくなってほとんど読み取れない)、読書、新聞が読めないようになった。

感情の起伏が激しくなり、物忘れ、整理整頓に無頓着、疲れやすいといって横になる時間が多くなる。家庭内も殺伐となり口論が激しくなった。

2002年
  (平成14年)
   7月まで
通院を始め、一人で外出が出来なくなった。理由は目がよく見えない、歩行が困難など。

入院中に病室で転倒し右上腕を骨折し、手術。左上肢はほとんど動かない。

介助による歩行練習は、左足首が伸びきってしまう固縮の兆候が見られるようになって、5月ころより車椅子使用となった。

身体障害者2級に認定された。

診断書 全体に病状憎悪、特に垂直方向の眼球運動不能、頸前屈困難、姿勢反射障害
2003年
  (平成15年) 
  11月ごろまで
療養型病院へ転院。左足首が変形固縮し、体重が支えられず、完全に歩行不能となった。

右上肢も動かなくなって、さらに頚部ジストニアのため首が右に向いてしまうので食事は全介助となった。

2003年3月ごろから、自力で起き上がれなくなり、寝たきり状態になる。オムツの使用始まる

10月、身体障害者1級、介護保険要介護5
2004年
  (平成16年)
  6月まで
転院

寝返りの出来ない寝たきりの状態となった。
屋外ではまぶしさを感じ、瞼が自然に閉じ、意志でもって開眼出来ない開眼失効が現れてきた。
話し声か極端に小さくなって、意思疎通に支障が出てきた。
排便が困難で、便秘が激しくなったため、摘便に頼ることが多くなった。
2004年
  (平成16年)
  8月まで
自宅療養
体幹の硬直が激しく、また発汗も異常に多くなった。

構音障害が進展し、ヘルパーなど家族以外とのコミュニケーションが難しい。

2005年
 (平成17年)
  4月まで
身体障害者施設に入所

体幹および四肢の硬直がいっそう激しく、車椅子から滑り落ちるほど反り返ってしまう。
右足のジストニアが顕著となってきた。

構音障害も進み、「はい」「いいえ」の返答も聞き分けが困難となった.

嚥下障害が出てきて、食事時間が1時間ほどかかり、その後、摂食、飲み込みが困難が現れついに誤嚥が始まった。

4月肺炎で、救急にて入院。
2005年
  (平成17年)
  10月まで
肺炎は2週間ほどで完治したものの、これによってPSPは悪化した。

肝機能、腎臓機能等が低下し、感染症予防が緊急の治療方針となり、中心静脈栄養のみで生かされることとなった。
カテーテルによる導尿。

体幹の緊張は相変わらずあるものの、意思で体を動かすことは出来なくなった。無動
腕、手は全く動かない。右足はジストニアで緊張が激しい。

発声がほとんど出来なく、僅か「アー」「ウー」が辛うじて、体調の良いときに出る程度。

微熱が続き(37度〜38度)特に午後になると必ず発熱する。

意思の表示は右瞼を閉じようとする努力(顔がしわくちゃになる表情)をこちらの問いに答える意思表示であると勝手にそう信じることによって、理解したのだと思う。実際は、理解しているが、伝達手段はないのかもしれない。

ただし、こちらの言うことはすべて理解できるのは救いである。
2006年       (平成18年)    5月まで 発熱が治まり、感染症の恐れも遠退いた。鼻腔栄養に切り替わりやっと人らしい栄養摂取への再出発となった。
鼻腔からの経管栄養は患者の負担が大きいと、医長からの助言で急遽胃ロウ造設となった。11月1日(火)手術

何ヶ月も消化器官に物が入っていなかったところに、栄養が入ったためか、下痢が続いた。医師は偽幕性腸炎という。

下痢は治ったものの、なお一層体幹の緊張、固縮が激しくなってきた。

左眼は光を感知せず反応しなくなった。

現在まで 体幹の固縮・拘縮は激しく、右脚は股関節で左足を覆うように曲がり、膝は約90度に曲がったまま変形・固定してしまった。

両腕は肘を内側に、体側に接するように伸びたまま筋肉が固定してしまった。

痰が気管支に詰まって、窒息しそうになり、急遽気管切開手術をした。(6月12日)


意識、聴力はしっかりしているが、自己の意思を伝達する為の瞼の開閉が不確実になりつつある。

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