この財団は、昭和5年から昭和23年まで約20年にわたって映画女優として活躍した「山路ふみ子」が、その後、事業で得た「私財」を社会のためにと幅広い分野に寄付され、当財団はこれを受けて昭和51年5月に「山路ふみ子文化財団」を設立し、お世話になった映画界の発展に寄与することをおおきな目的として今日に至っております。
この財団は、設立当初より素晴らしい映画づくりに貢献された方々に、日本で一番早くに発表される映画賞として注目され、今日に至っております。
映画賞の設立後も事業範囲は、少しづつ拡大され映画界のみに留まらず、文化・教育・福祉の支援を行うまでに至りました。
活動内容は多岐に亘り、昭和初期の貴重な映画フィルムの上映会から学生の課外活動支援、地域振興の為の映画上映会等、社会貢献を目的とした様々な事業を行っております。

| 平成21年度 | |
| 平成22年度 | |
| 平成23年度 |
山路ふみ子文化財団 理事長 岩普@光洋
新興キネマの看板スターとして活躍された山路ふみ子さんが
、先の大戦で瓦礫の山と化した日本の姿を目の前にした時、女
優の道を諦め、料亭[山路]の女将、その後ゴルフ練習所を経
営。母と自分が食べていけるだけのものを除いた全ての私財を
擲って、終戦後の日本の早期の復興を願い、当時、財政難で十 分に研究ができなかった有能な若き科学者への研究助成「自然
科学振興財団」を設立したのは昭和三十八年のことでした。
その後、当「山路ふみ子文化財団」を始め、ご両親を交通事
故以外等で亡くされた高校生への奨学基金、患者さんがより高
度で、充実した医療を受けられるようにと、看護大学院生の研
究助成基金を設立しました。
これは、山路ふみ子さんの日本の明るい未来のためには、若い人への教育支援が何より重要であるとの確信に基づくものでありました。「五体満足の人が不自由な人に手を差し伸べるのも当たり前、ゆとりのある人がそうでない人を支援するのも当たり前。私が私財を擲って、世のためになることをするのも当たり前。むしろ、このようなことができる自分がいかに幸せかを、しみじみ感じます。」と良くおっしゃられていたことを思い出します。
今、我が国は東日本大震災、福島原発事故と未曽有の災害・事故に遭遇し、日本国民全ての人が、改めて「人間とは?幸せとは?」という根本的な問いに対する答を求められているのではないでしょうか。
人は誰しも「幸せになりたい」と思うものです。しかし、幸せは決して一人ではなりきることはできません。より多くの人の幸せそうな笑顔を見られることで、人はどれほど大きな幸せを感じることができるでしょうか。
幸せをみんなで分かち合い、励まし合い、愛をもって青少年の教育・育成に当たり、より心豊かで、明るい未来ある日本を再生・再建しましょう。
山路ふみ子さんの播いた種は、日本国内は無論のこと、遠くネパールでは、多くの山路さんが建設された学校を卒業した学生の中から現在、医師・教師・看護婦として、地域の医療・教育現場で活動してくれています。こんな素晴らしい種を播き、こんな素晴らしい成果を見られるのはなんと幸せなことではないでしょうか。
財団は平成二十四年三月十二日、山路ふみ子さんの百歳のお誕生日を日本の再生、再建の日とさせていただき、創設者山路ふみ子さんの夢の実現を目指して、今後とも努力してまいりたいと存じます。何卒今後とも更なる厚いご支援・ご協力をお願い申し上げます。

