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田祭り保存会とは?
  古くから鶴見の地に伝わる貴重な文化遺産でもある田祭りを復活させよう、という具体的な動きは、昭和五十八年春からで、鶴見神社の金子宮司が、「鶴見に生れた由緒ある民俗行事を復活させ、永く保存したい」 と、鶴見歴史の会に相談されたのが復活研究の始まりであった。 鶴見歴史の会では、早速、有志によって田祭り研究部会を発足させ、後に田祭り保存会として発足した。  
 
  1. 鶴見の田祭り復活への基本的考え
  2. 田遊びの見学
  3. 神寿歌の考証・整理
  4. 演者の設定と節付
  5. 所作の研究
  6. 衣装・道具について
  7. 祭式次第について
  8. 参考資料一覧
 
1.鶴見の田祭り復活への基本的考 ↑up
古くから鶴見の地に伝わる貴重な文化遺産でもある田祭りを復活させよう、という具体的な動きは、昭和五十八年春からで、鶴見神社の金子宮司が、「鶴見に生れた由緒ある民俗行事を復活させ、永く保存したい」と、鶴見歴史の会に相談されたのが復活研究の始まりであった。鶴見歴史の会では、早速、有志によって田祭り研究部会を発足させ、この地域に深い関りのある課題に対応することとした。調査研究の態勢を確立すると同時に、残された文献等の研究を始めたが、復活に当っての基本的な考え方を、次の三点において、これからの調査研究を進めることにした。

イ、神事としての復活か民俗芸能としての復活か
鎌倉時代から始められた、というこの田祭りは、稲作の豊穣を神に祈願するために神前において行われるもので、当然のことながら「神事」としての性格が含まれている。しかしながら時代の変化に伴い、現在では既に田んぼも皆無となり、商工業の町。ベッドタウン化した鶴見としては、広く区民に理解され、受け入れられやすい民俗芸能として構成する。したがって、神に祈りを捧げるという古俗は守りながらも、すべての場面で、観衆を意識し、それへの対応の中でよりよい形で復活する。

ロ、文献を忠実に復元
鶴見の田祭りについては、幸いにも神寿歌の歌詞をはじめ、祭式次第、用具、図解などの詳細な文献が残されており、その意味では調査研究を比較的順調に進めることが可能であった。問題は、それらの基礎資料をどのような形で復活に結びつけていくかということであった。最近、各地域で文化遺産の見直し、民俗芸能の復活が盛んになりつつあるが、新作部分を加味させるものが多く、中にはその殆んどが新しいもの、といったものが見られる、ということを耳にする。鶴見の田祭りについては、貴重な文献が数多く残されている。また、東京農大教授の伊藤宏見氏は「この神寿歌は各地に残るものと比べて文学的にも優れており、当時のこの地方の民俗、風習、農耕のあらまし等、いろいろな内容を含んだ貴重な文献である。」と述べておられる。このことから、全体的な流れの中で、部分的には若干の調整を行っても、出来るかぎり、昔からの姿を守りながら復活する。

ハ、農民による素朴な祭りを再現
民俗芸能として復活を図ることにしたが、その根底には大自然の恵みを、その歌や仕草によって神に祈る。こうした素朴な農民の心をしっかりと受け止める復活であること。五穀豊穣の祈りとともに、子孫の繁栄、地域の発展を加味した民俗芸能として復活を目指す。
2.田遊びの見学 ↑up
かつて鶴見の田祭りは、毎年正月十六日に行われていたが、すでに途絶えて一世紀以上になり、演じていた人も、伝承者もないが、神寿歌の歌詞を始め、祭式次第、道具図説など、詳細な幾つかの文献も残されていた。しかし、問題の節付、所作、鳴物等については、何らの記録もないので、このため、現在、継承されている「田遊び」「田打ち」などを見学することとした。すなわち、静岡県の三島大社、東京都板橋区徳丸の北野神社、同じく赤塚の諏訪神社、静岡県志田郡の大井川八幡宮などに出掛けて、ビデオ、写真等の収録を行った。「百聞は一見にしかず」と言われるように、伝承されてきた姿を目のあたりにして、演者の心構え、歌と動作の間合、衣装、道具の扱い方など、研究の上で大いに役立った。
3.神寿歌の考証・整理 ↑up
田祭りは、神寿歌、道具、所作が混然一体となって行われるものであるが、その中心をなすものは神寿歌といえる。したがって、田祭りの復活に当って、最も力を注ぎ、慎重を期して取組んだのが、この神寿歌の考証と整理であった。

イ、基礎となる文献の比較・検討
研究部会では、数ある神寿歌の一本化を図る作業手段として、鶴見神社の『杉山大明神御事歴』、黒川春村草『杉山神社神寿歌釋』佐久間家文書『鎮守杉山大明神祭礼歌』の三種類の歌を並列記載した資料を作成した。そして、この資料に基づき、逐条的に細部にわたる比較検討を始めた。それによって、鶴見村の旧家佐久間、平野両家に伝わる『鎮守杉山大明神祭礼歌』の異同を正した、黒川春村の『杉山神社神寿歌釋』が比較的妥当性が高いように思われた。したがって、神寿歌釋を中心として、他の二種類の資料と比較しながら、神寿歌の成文化を進めた。その作成に当っては、前記「復活に当っての基本的考え方」により、細かな部分での修正は行っても、全体としてはかつての表現を損なわないように配慮した。

ロ、復活過程でさらに検討を加える
節付を終って、実際に歌ってみて気がついたことは、節付に対して、歌詞の不足と思われるところが生じてきたことである。おそらく、伝承の途中などで、脱落したのではないか、とも思われる。このため、必要に応じて加筆した。
4.演者の設定と節付 ↑up
イ、演者の設定
鶴見神社の神主黒川荘三の手記『千草』を基にまとめた『杉山大明神御事歴』によると村民十二人を神事掛りと定め、この十二人の名前の中、名主の佐久間権蔵は「蟇目の役」、九左衛門は「作大将」、五左衛門は『杉山神社神寿歌釋』では「稲人の役」とある。
したがって、先に整理した神寿歌の詞章を、祝詞、対話、呪阻、歌に分け、それぞれの記号を付して整理した。このうち、祝詞は鎌倉時代から起った、千秋万歳(せんずまんざい)の言立(ことだつ)の流れを汲むものと考えられる。
さきの区分にしたがい、対話には、稲人と作大将を当て、祝詞、呪阻を作大将が、歌のリーダーを稲人が担当することにより、稲人をシテ役とし、作大将をワキ役、その他をツレ役とすることにした。
なお、各地の田遊びを見学して、この十二人のほかに、伝承通り「牛役」に小童一人、「早乙女役」に少女二人、最後の豊年祝の中に、「神馬役」一人「道化役」二人を登場させることにした。現在は演者希望者が増え牛役四人、早乙女役六人と増員されている。

ロ、節  付
詞章の節付については、前述の通り、区分したものの、その節付については伝承の中に何の記録もなく、百十余年前に中断しているため、田祭りを見聞した人も皆無である。
そこで、前に述べた各地の田遊びなどを見学して得た歌詞と、鶴見の神寿歌を照合して、類似の箇所については、歌の前後に違和感がなければその節を採用した。祝詞、対話、呪阻などは、序、破、急の変化をつけたり、抑揚の変化を持たせた。とくに、徳丸の田遊びに歌われる歌詞には、神寿歌と類似の点も多いので、その節付を多く採り上げることにした。
5.所作の研究 ↑up
神寿歌の所作については、『杉山大明神御事歴』に記載されている「苗代の田打ち」と「苗代の代かき」の絵二枚が唯一の手掛りであり、これを拠り所にして所作の工夫を行った。
これまで見学してきた各地の田遊びは、東海道筋特有の猿楽、狂言と設楽神歌(しだらかみうた)、千秋万歳の融合形式がとられている。鶴見の田祭りの場合も、演者の所作については、三島大社の荘重さと、徳丸北野神社の素朴な演技を参考とすることにした。
所作の中心になる田んぼについては、東京徳丸の田遊びなどで、大太鼓を田んぼに見たてて、所作が行われているが、鶴見ではヤッサイ (青笹竹三本を芯にして藁で包み荒縄で巻いて作った長方形の田の畔畦(あぜくろ)を型どった道具)を使用することにした。
舞台では、演者六人ずつがヤッサイを中心に相対し、農作業を象形的に、時には現実的に表現することにした。この場合、なるべく全員が参加できるように役割を分担することにした。
所作で最も注意したことは、民俗芸能としていかに解り易く所作を行うかということで、神寿歌の第一段、第二段、第三段を、それぞれ「序」「破」「急」に区分し、次第に盛り上げてゆくよう工夫した。
とくに、稲刈り終了後の豊年祝いの場面は、それまでの古雅で地味な雰囲気から、一変してパフォーマンスなフィナーレを考え、舞台の中央に笊と鍬を組合せて稲叢と見なし、ここに神馬を登場させた。
最後の「お鶴」「亀蔵」の道化の所作は、五穀豊穣と子孫繁栄を祈る感応呪術(かまけわざ)の演技であるが、その動作は、徳丸北野神社の田遊びに登場する太郎次、安女を手本とした。
6.衣装・道具について ↑up
イ、衣装について
田祭りを演ずる十二人と蟇目役については、農民の行う祭りということを基本に踏えて素朴さを失わない範囲で次のようにした。
蟇目役 黒紋付、袴、白足袋、草履(白緒)
作大将 白直衣、烏帽子、白足袋、草履(白緒)
稲人頭 白直衣、烏帽子、白足袋、草履(白緒)
稲  人 黒目の長着を尻端折りし、萌黄色の袖無し長絆天、紺の股引、黒足袋、
草履(白緒)
そのほか、早乙女は紺絣の長着の裾を端折り、白扇三本で作った笠を冠る。牛役の小童は、伝承に基づき、長着に羽織を着る。
道化役のお鶴は、丸髷の鬘にオカメの面をつけ、色物の晴着に白足袋、赤緒草履、亀蔵はワライの面をつけ、柄物の長着を尻端折りし、紺の股引に黒足袋、草履(白緒)とする。
神馬役は、腹がけに祭り絆天、紺の股引、黒足袋、草履(平緒)、囃子方は腹がけ、祭り絆天、紺の股引き、黒足袋、草履(平緒)とする。

ロ、道具について
鶴見の田祭りには、かしら(頭)を餅で作り、柄を接骨木(にわとこ)で作った鍬十二挺など、次表に掲げる様々の道具があり、繰り広げられる演目に応じて用いられる。
名 称 数量
備 考

(頭餅製)
十二挺 柄は接骨木を用いる
木馬頭 一 頭 木製、神馬に用いる
牛 面 一 頭 竹笊に紙を貼って作る
二 挺 木製
鋤・馬把 各一挺 木製
杁(柄振) 二 挺 木製
大 笊 一 個 種籾運び用
小 笊 二 個 種籾蒔に用いる
一升枡 一 個 種籾秤用
青竹弓 一 張 鳥追いに用いる
雁股矢 四 本 蟇目の儀に用いる
本弓
(重藤弓)
一 張 蟇目の儀に用いる
ヤッサイ 二 枚 一つは田んぼに見立てる
一つは牛馬体に用いる
羊 面 一 頭 閏年に登場する
鞍(餅製) 二 組 三個の餅を麻苧で結ぶ
早乙女笠 六 蓋 白扇三本を用いて作る
※ 上記のほかに新たに次を加えた。
太鼓一張、竹ササラ十本、敷草若干
7.祭式次第について ↑up
『杉山神社神寿歌釋』『杉山大明神御事歴』『千草』に、「祭式は正月十六日酉の上刻(今の午後六時)、村民十二人社頭に集ひて同音に歌を謡ひ、種々の式を行ふ……」と、往古演じられた田祭りの様子が詳細に記載されている。
それによると、田祭りは氏子を三分して行われていた。すなわち、三年に一度当番氏子となり、この中で殊に由緒のある佐久間権蔵、塩田九左衛門、塩田五左衛門の三家が、それぞれ当番宿(神事宿)を勤めて、祭式の準備、執行を指図した。
しかし、第二次世界大戦後の社会思想の変革や、田祭りの基盤である農耕社会が消滅しつつある今日の都会の中で、かつて神事宿で行われた祭事の準備作業(御神酒「濁酒」の醸造、精米、備餅、鍬、鞍など道具用餅の製造)は、これを止め、神事宿は鶴見神社の社務所を当てることにした。祭祀の日時についても、民俗芸能として復活する建前から、演者と観衆の立場を考慮し、四月二十九日の夜と決定した。
御神酒「濁酒」の、参詣者への饗応は、境内に御神酒所を設けて実施することになった。
祭式の初めに行われる杉山祭の行列には神事掛り、祭事掛りが参加するが、昇殿は蟇目役と神事掛り十二人だけで、道具は拝殿前に並べて神官のお祓いを受ける。
神寿歌の最後の豊年祝いの前段の歌唱中に神馬を登場させ、さらに、後段では「お鶴」「亀蔵」二人の道化役を登場させ、お囃子の笛と太鼓をまじえて、祭りの雰囲気を盛り上げることにした。
また、往時、神寿歌の終了直後に行われた「ヤッサイ式」は、これを中止し、祭りの翌日、神事掛り十二人を神事宿に招いて行われた「直会式」を、祭事終了後、社務所で行うことにした。
8.参考資料一覧 ↑up
  • 『鶴見神社杉山大明神牛頭天王官御事歴』 (黒川荘三著「千草」より要約)
  • 『神奈川県史』 (文化編)
  • 『横浜市史稿』 (民俗編)
  • 『千      草』 (黒川荘三手記)
  • 『杉山神社考』 (戸倉英太郎著)
  • 『杉山神社神寿歌釋』 (黒川春村)
  • 『鎮守杉山大明神祭礼歌』 (文政六年佐久間家文書)
  • 『新編武蔵国風土記稿』
  • 『徳丸の田遊び由来』 (小泉重次郎)
  • 『藤森の田遊び』 (静岡県大井町教育委員会編)
  • 『お田打神事』 (静岡県三島市三島大社)
  • 『板橋の郷土芸能田遊び』 徳丸北野神社の田遊び、赤塚諏訪神社の田遊び。
    (板橋区教育委員会編)
  • 『武蔵赤塚村諏訪神社田遊び祭りの記録』 (民俗芸能第二巻第四号)
  • 『農と田遊びの研究』 (新井恒易著)