東堂の自己紹介

氏名
    渡辺 大修(わたなべ だいしゅう 66歳)

 昨年12月、35年間勤めた正福寺住職の任を弟子・道俊和尚に譲り、私は、樹木葬運営に住職代行として専任することとなりました。
 引き続き、よろしくお願いいたします。
 
現職
  正福寺東堂(前住職)
  鳥取県革新懇話会常任世話人
  大山町「九条の会」呼びかけ人
  新俳句人連盟会員、道標同人



樹木墓苑開設の動機

 近年、葬送の在り方も多様化し、継承者を必要としない墓地や自然と共に眠りたいとする人が増えてきています。
 そこで、当寺院の敷地内の竹林(地目山林)を整備して墓地許可を得て、樹木葬墓苑として提供することにしました。
 県道に面した平地であることから、車椅子でもお参りできる、大樹に囲まれた人に優しい墓苑となりました。

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 正福寺の由来

 曹洞宗正福寺は金華山と号し、本尊は薬師瑠璃光如来です。当初は霊鷲山祗園寺といい天台宗であったが、1684年に曹洞宗に転じたといわれています。

御 本 尊





戦争と正福寺の梵鐘

 戦争は、大変むごいものです。第二次世界大戦の日本軍の侵略でアジアの2000万人を犠牲にしました。日本では、沖縄、広島・長崎の原爆犠牲、各地の空襲など300万人を犠牲にしました。鳥取県内でも、境港の「玉栄丸」爆発で500名にも及ぶ死傷者をだしました。当寺の近くの大山口駅では、列車が空襲され死者44名と多数の負傷者をだしました。戦地で若い命を失った人は、正福寺檀家120軒で40名にものぼっています。そして、すべての自由が奪われ、人を救う宗教さえ否定されてしまいました。
 正福寺には、梵鐘がありません。1942年(昭和17年)9月に戦争のために供出させられたためです。戦争の武器作りのために鉄などを国が接収したのです。供出した折の伝票には「特別回収買上伝票」とありますが、代金は支払われず接収そのものです。
 梵鐘の梵は清浄の意を表し、その梵音の響くところ一切衆生は抜苦与楽にあずかるといわれています。そして、百八の梵鐘を撞くのは、人間の持つ百八の煩悩を清浄し救済するためです。
 一切衆生(人)を救済するための梵鐘を供出させて、人を殺す道具に変えてしまうなどとは、絶対に許しえない蛮行です。ところが、曹洞宗も戦争遂行に協力してしまうという、「不殺生戒」に背く歴史的な過ちを犯しました。
 戦争は二度と繰り返してはなりません。戦争に協力することも絶対に行ってはなりません。しかし、戦争に走ってしまってからでは遅いのです。権力の暴走の前には人は無力となることもあるのです。権力の暴走をとどめるためには、その権力の過ちが双葉のときに摘み取らなければなりません。戦争につながるどんな小さな動きでも見逃さない国民の確かな眸が必要です。そして、戦争への防波堤は憲法であり、憲法第九条であると考えます。今日、憲法を変えようとする動きは、再び戦争につながる大変危険な兆候と考えます。
 私は、衆生救済と平和のために、「樹木葬墓苑」が少しでも役に立ち、そして正福寺の梵鐘が甦ることを念じています。

                                  2007年春    渡辺 大修  合掌
供出させられた梵鐘
供出伝票

住職が交代しました

 昨年2010年12月に、正福寺住職が交代しました。
 後任は、山見道俊和尚です。
 渡辺大修師は東堂(前住職)として、樹木葬運営に当たります。

 山見道俊和尚の略歴

  1977年 2月  誕生
  2007年 3月  渡辺大修師について得度
   同 年  4月  京都・智源寺僧堂へ修行
  2009年 5月  正福寺帰山
  2010年12月  正福寺住職就任