
西川伸一著 オーウェル『動物農場』の政治学 西川伸一 ホームへ
小さな特権がいつの間にか大きな権力に
権力の横暴への歯止めはどこにあるか
G・オーウェルの慧眼をテコに
政治のからくりを縦横に透視する
目次
プロローグ 逆ユートピア小説は警告する
第一章 豚のメージャー爺さんの大演説
第二章 動物革命の勝利
第三章 豚の特権階級化の芽生え
第四章 反革命を撃退する
第五章 ナポレオン独裁体制のはじまり
第六章 路線転換
第七章 反乱から大粛清へ
第八章 風車の完成、爆破、そして辛うじての戦勝
第九章 ボクサー葬送
第十章 裏切られた革命
ISBN978-4-904350-15-7 C0031 46判 206頁 定価1800円+税 ご注文はロゴスまで
書評:「1984ブログ」2010年3月26日より
書店を時折覗くが、まれに英米文学の棚の前には立っても、政治学の棚のそばによったことがない。それで、本書が刊行されてから、二ヶ月、全く知らずにいた。
『動物農場』に関する英語の本や、日本語の本、何冊かは読んだが、この本、圧倒的に読みやすく、勉強になる。
「スターリン・ソ連批判本」として、共産主義やらソ連だけ断罪するのに、本書を使うプロパガンダ言説が多いような気がするが、決してそんなことはない。もちろん、オーウェルの狙いは、そのあたりにあったのだろうが、それだけなら、本書、今頃、消滅していても良いだろう。
『動物農場』の話、現代日本や、アメリカの政治にまでもおよぶことが、この本を読むと良くわかる。
こういう良い本、商業新聞の書評欄には掲載されない。
必読の『動物農場』副読本が、ようやく現れたような気がする。面白いところを抜粋したいが、きりがないので、省略。是非お読み頂きたい。
次は、オーウェル『1984年』の政治学、という本を、是非書いて頂きたいものと期待している。(小原信利)
書評:『週刊東洋経済』2010年3月13日号に掲載
『一九四八年』や『カタロニア讃歌』で知られるジョージ・オーウェルの傑作『動物農場』は「社会主義」ソ連の現実に対する強い幻滅が執筆動機となった。スターリン独裁の恐怖とともに、権力はどのようにして絶対化し、腐敗していくかを戯画化して描いた逆ユートピア小説として、今なお根強い人気がある。
『動物農場』からほどよく引用しつつ、その思想的、政治学的意味を吟味し、現実の歴史に重ね合わせようとする著者の狙いはほぼ成功しているように思える。無味乾燥な学術書とは異なり、時に饒舌と思えるほど多彩で平易な叙述は飽きさせないし、政治学の人門書として効果的かもしれない。言語支配、特権階級、英霊、優性思想、敵の発見、非決定権力、構想力の欠如、慣れの怖さ、など政治学上のテーマが史的事実、現代政治を材料に解明される。「哲人政治」とプラトンの一節など短いが考えさせられた。事項・人物(+動物)索引もある。 (純)
書評:『Plan B』26号(2010年4月1日号)に掲載
ユートピアの陥穽とその超克
著者は気鋭の政治学者で統治機構の構造と内情を人事システムから解剖する独自の手法で数冊の著作を著わしているが、新著は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を下敷きにして、政治のからくりや恐るべき罠を日本や世界の現実の事象を素材に解き明かしたユニークな内容となっている。
オーウェルは、イギリスの作家で『1984年』や『カタロニア讃歌』でよく知られ、今でも広く読まれている。とくに後者は1936年のスペイン市民戦争に自ら志願して人民戦線の兵士として参加した体験に基づいて、そこでのスターリン主義の背信と虚偽を暴き出したがゆえに、1966年に翻訳刊行された時、新左翼の活動家の推奨文献ともなった。
だが、どういう訳か『動物農場』のほうは文庫版でもあり読みやすいはずなのに新左翼の中ではそれほど読まれることはなかったと思う。私自身も『動物農場』は今度初めて手にした。そして、この扱いの違いの意味が理解できたような気がする。『動物農場』のほうが、政治や政党・党派の否定面をより鋭くえぐり出しているからである。『カタロニア讃歌』なら、スターリン主義の誤りだけを強調するのに使えるが、『動物農場』だと「反スターリン主義」を掲げる自分たちの党派の弱点に気づくきっかけになりやすいからである。
オーウェルは、『動物農場』を1945年に刊行した。スターリン批判が1956年だからその10年以上も前に、スターリン主義の虚偽を寓話にたとえて暴き出した。オーウェルは反共主義者ではないが、心ならずも反共産主義の宣伝にも使われた。日本では戦後GHQの検閲を通った翻訳第一号であったという。
本書の帯に「小さな特権がいつの間にか大きな権力へ」と書かれているが、そこに政治の魔力が存在する。支配者は、言語を統制・悪用し、情報を秘匿・コントロールする。単語を簡略短縮して作り替えることによって、原義を見失うように操作する手法が暴かれている。あるいは「敵」を作りだして、不満と批判を逸らす手法も洋の東西、古今を問わず実行されてきた。著者は実例を豊富にあげて、『動物農場』でオーウェルが警告した要点を現実分析のテコとして再現している。偶像崇拝、非決定権力、優生思想、位階叙勲などの意味と機能が明らかにされている。
本書から学んだことの一つは、福田康夫政権の時に、彼が情熱を傾けて公文書管理法が2009年に制定されたことを知ったことである。福田は、立派な大統領図書館が歴代大統領ごとに建設されるアメリカの先駆例に学んで、この法律制定に尽力した。折から、日米密約に絡んで多くの機密文書が行方不明となっていることが報道されているが、情報公開の前提は情報の管理・保存である。
ユートピアの追求は落とし穴にはまりやすい危険性を伴っていることを深く理解し、強く警戒・自戒しなくてはならないが、それでもなお、左右の谷底に注意しながらユートピアを追求する細い尾根を歩まなくてはいけないし、先の福田首相の努力のように、転落防止の手段も小さくゆっくりではあるが創り出されている、と考えるべきではないだろうか。だから、オーウェルも読まれている。 (村岡到/本誌編集長)本書より
ジョージ・オーウェル(George Orwell : 1903ー1950)といえば、逆ユートピア小説『一九八四年』Nineteen Eighty-Fourの筆者として有名です。これは1949年に刊行されました。実はその5年前の1944年に、彼は『動物農場』 Animal Farm : A Fairy Story という傑作を完成させています(初版刊行は1945年)。これは、政治のエッセンスに満ちた抜群におもしろい小説です。ふとした偶然で、わたしは2008年の6月にこの『動物農場』を手に取りました。その行間には権力の生理に対する慧眼にあふれ、ちょっと興奮しながら頁を繰っていきました。
というのも、わたしは勤務先の大学で国家論という科目を担当しているのです。『動物農場』を読み進めていくうちに、「これこそ国家論だ、これを教材にした授業をしてみたい!」という思いが、わたしの中にふつふつとわき上がりました。今一度わたしの背中を強く押したのは、2008年12月に『動物農場』を映画化したアニメが日本で初公開されたことです。このアニメがイギリスで制作されたのは、1954年にさかのぼります。英米での一般公開は1955年でした。それから半世紀以上を経て、日本のスクリーンにようやくお目見えしたのです。
「こんな偶然があろうか。なにかしなければ」と霊感に打たれた気持ちになりました。こうして書き上げたのが本書です。いわばわたしの授業のサイドリーダーのつもりで書いてみました。気楽な気持ちでお読みいただければ幸いです。『動物農場』は角川文庫で簡単に手に入ります。ちょうど、本書執筆中に岩波文庫から新訳も出されましたので、あわせてどうぞ。
はじめにより
『動物農場』は上からみれば権力者の本能を活写し、下からみれば「慣れていく怖さ」に警告を発しています。
「慣れていく怖さ」について卑近な例を挙げましょう。わたしが大学に入学したのは1980年です。入ったサークルの部室があった木造の学生会館の壁には、至る所にいわゆる過激派のおどろおどろしいポスターがべたべたと張られていました。右も左もわからない一年生だったわたしは、とんでもないところに来てしまったと、ぞっとしました。
しかし一カ月も経たないうちに、部室に通うわたしはそのようなポスターをみても、なにも感じなくなっていました。変わらない風景に、脳が反応しなくなっていたのです。
それと同様に、体制内に大きな問題があったとしても、やがて人びとは面倒だなと思いつつ、変わらない風景のようにそれに不感症になっていきます。多忙な日常生活の中、異議を唱えない言い訳はいくらでも思い付きます。「茶色」に「俺」が慣れていったように、スクィーラーの「雄弁」に「それもそうだ」と動物たちが納得してしまったように。
いうまでもなく、インターネットが発達し、だれでもが情報にアクセスでき、だれでもが情報発信できる時代にわたしたちは生きています。かつての社会主義国のように、情報統制とイデオロギーの徹底的な教化によって権力を維持することは、ほとんど不可能でしょう。もちろん、文字が読めない動物農場の動物たちのようには、わたしたちはやすやすとはだまされないはずです。
むしろ『動物農場』からこんにち読み取るべきなのは、「慣れていく怖さ」ではないでしょうか。
いかに美しい社会デザインを描いても、運営においてエントロピーの増大は避けられない。そこで権力維持のために用いられる様々なペテン、ことば巧みに笑顔で忍び寄ってくる緩慢な抑圧に、惑わされずに警戒を解かないこと。勇気を出して声を上げること。オーウェルが『動物農場』で示した政治の本質への洞察を、わたしはこのような教訓としてとらえ直したいと思います。
第十章 裏切られた革命より