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9月定期講演会(平成15年)
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憲政の神様と敬われる尾崎行雄―。尾崎咢堂(がくどう)とも呼ばれる。
その精神を生かす「咢堂塾」の塾長が3女の相馬雪香さんである。月1回、
開き、講義もしている。
「民主主義で大切なのは、一人ひとりが判断力を持つこと。
咢堂塾が民主主義の種まきだと思っています」。平成10年にスタート、
次代を担う有権者、リーダーの育成に燃えている。
国際MRA(道徳再武装)日本協会名誉会長として毎年夏、
スイスで開催されるMRA国際会議に出席する。今年も先月1日から
約2週間、世界の代表らと平和、人間のあり方などについて
熱っぽく語り合った。帰国後、すぐに日韓女性親善協会の名誉会長
として訪韓した。
昭和52年、カナダの知人から手紙が届いた。「世界で最も恥ずべき国は
日本です。世界中の目がインドシナ難民にむけられているのに、
あなたの国は2人しか受け入れていません」とあった。
手紙を手に協力要請で訪れた外務省から「とやかく言われる筋合いは
ありません」と一蹴された。この時、父・行雄の「官に頼るのではなく、
民がしっかりしなければ」と言う言葉を思い出し、官に全てを頼るのは止め、
「難民を助ける会」を誕生させた。
“日本の母”は助ける会の会長として“難民の母”にもなった。
緊急支援から現地での職業センター運営、校舎の新改築など多岐に渡る。
「地雷ではなく花をください」(自由国民社)を英訳、
地雷撤去運動でも輝いている。
86歳の時、福島で講演した。「いらっしゃる時はグリーン車で」との
要請に「私は、一般の方と同じ普通車でいいですよ」。
今回もグリーン車を断られた。
前回の講演に訪れた際、新幹線福島駅のホームに出迎えた。
「お荷物をお持ちしますか」と手を差し出したら「ありがとう、
でも自分で持てますから」。
明治45年、東京に生まれた。昭和初期、女子学習院を卒業、
父の欧米視察に同行し、通訳としても活躍した。昭和7年、
元相馬藩主の家柄で幼なじみの相馬恵胤氏と大恋愛、周囲を驚かせながら
25歳で結婚、4子をもうけた。当時、お見合い結婚がほとんど。
新しい女性・結婚のあり方に挑み、幸せを手にした。
明治・大正・昭和、そして平成を歩む“日本の母”が24日、
揺れ惑う現代人に、辛らつだが心からの熱いメッセ−ジを贈る。
(小林富久壽)
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現在、取材中
(写真は07年3月30日、東京で開催された「相馬雪香ー平和への
行動・未来への情熱」DVD出版記念会の時の元気なお姿です。
95歳です。
パンフレットには「人生の本舞台は常に将来にあり、世界を知って
出来ることから始めましょう」とありました)