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        11月定期講演会(平成14年)

     N H K プ ロ ジ ェ ク ト X  

    中国・ゴビ砂漠の植林・緑化に燃える塩田修二氏   

         (郡山、県緑の協力隊理事長)


                ゴーという不気味なうなり、空を覆う黒い雲、狂ったように砂嵐が襲った。
            身をちぢめ、頭からスッポリ衣をかぶり、嵐を避けた。だが、口の中は、
            ジャリジャリ。鼻、耳の中にも侵入した。


            中国・ゴビ砂漠の一角をなすモウス砂漠―。
            生きがいと夢をかけた砂漠の植林・緑化大作戦は、想像を絶する自然
            との闘いでもあった。


                塩田さんが、砂漠緑化の大ボランティア事業にかかわったのは平成3年。
            日本沙漠緑化実践協会会長の遠山正瑛鳥取大名誉教授が書いた
            「よみがえれ地球の緑」に感銘、造園業を投げ打ち、行動を起こした。
            遠山さんは同事業のリーダーで当時は
83歳だった。


                内蒙古の恩格貝(おんかくばい)が前線基地。塩田さんが、責任を任された。
            日本各地からのボランティア、多くの出稼ぎ中国人が働いた。ポプラを多く
            植えれば、稼ぎが増える歩合制だった。しかし、すぐに枯れた。中国人は、多くの
            収入を得ようと簡単な浅植えにしたため根づかなかったのだ。



                日本人に対し、強い不信感が漂っていた。「また侵略に来た」
            「生長した木を日本に持って帰る」「日本の金儲けだろう」‥。不信感の払拭が
            最初の仕事になった。


            出稼ぎ者の粗末な家を仕事後に訪れ、
55度もの地酒を飲み交わした。
            水いっぱいのおかゆ、あげパン
2個程度の朝食。
            現地の中国人同様の粗食、“貧しい生活”を続けた。信頼感が回復、
            仕事に熱が帯び、木の活着率が急速に向上した。


                 1200fの広大な砂漠に300万本の緑がよみがえった。園芸や果樹栽培も
            進んでいる。訪中は、
30回近くにも及んだ。
            「大陸の風にサラサラと揺れるポプラの葉の声を聞くと感動します」



            砂漠緑化の永い旅を行く
52歳。


            講演から4年7ヶ月

                    現在、取材中