4月定期講演会(平成19年)
社会福祉法人 「工房 オリーブ」
理事長 遠藤節子さん(いわき)
「泣いた、怒った、感謝した
輝くおばさんの半生」
感動のシーンが一瞬にして暗転した。
初産で誕生したばかりの長男を抱いた時だった。
「ダウン症だ! 直感で分かりました」。知的障害―。
混乱した。泣き崩れた。「バチが当たった!」
女子高時代がよみがえった。
バス通だった。ダウン症の女子生徒がいた。
「汚い、あっちに行け」「シー、シー、こっちに来るな」。
友達といじめた。産まれたばかりの赤ちゃんと、
いじめられっ子の表情が似ていた。
それが分からない看護婦や父母たちは
母子の健康を祝福した。泣き続ける母をいぶかった。
半年後、医師が冷厳な事実を初めて告げた。
息子が14歳の昭和63年、自立出来るようにと夫が授産施設を造った。
ダウン症を持つ母親4人と廃油利用の石鹸作りをスタートさせた。
廃油独特の、臭いが鼻を突く授産施設だった。
子供と母親の生きがいと安らぎの場になった。
16年間、続いた。
社会福祉法人化と新施設建設の努力も続けた。
親が亡くなっても子供たちが生活出来るようにー。
多額の資金が必要だった。
大きな都市の資産家社長が後援会に入った。
年100万円前後の寄付があった。
外車に一緒に乗せられ、後援会員の募集巡りをした。
「おめーら、(後援会に)入れ!」と他の社長らに
指示した。月1万円の法人会員が次々に増えた。
山を造成、立派な授産施設を造り、贈呈する。
念願の、そんな約束が交わされたが社長の傲慢さを感じた。
朗報のはずなのに何故か涙がとめどなく流れた。
うれし涙ではなかった。
何かが違う。打ち明けられた仲間たちはキッパリ言った。
「札束で、ほほを打つような寄付を受けるなら辞める」。
計画は振り出しに戻った。地道な活動、資金集めが再開された。
平成16年。知的障害者の新しい通所授産施設の
「工房 阿列布(オリーブ)」が完成した。敷地面積1500坪。
自然に囲まれ、太平洋が輝く。しゃれた美術館の雰囲気。
日本有数という。
建設前に役所は、医務室を建物の端に作れと指示した。
「自分の子供が病気の時、家の端に置くか」と反論した。
予定通り、利用者がいつも見える中心部に設置した。
食堂はレストランのムードを漂わす。
そんな素敵な建物で 33人の利用者が石鹸と工芸品製造の
下請け作業をしている。
視察者が急増した。いわき観光の一つにもなった。
訪れる友人は彼女の苦闘を知り「よく頑張った」と泣いて感激する。
小中学校の体験学習も多い。ダウン症の利用者と話す。
帰校後、感想文が届く。
「いじめていた。もうしない」「反省した」
「一緒の作業が楽しかった」…。
今は、大都市の資産家社長に心から感謝している。
「厳しく育てられたからこそ今日があります」。
日本初の障害者ホスピスも造る。さらに燃えている。
上品な顔なのに、何故、この口の悪さ!?
ポンポン飛び出す。でもやさしさ、温かい心に
包まれる。支援者が増える。不思議な魅力。
輝くおばさん。
(小林富久壽)