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下のページに写真で綴る「その夜のひとこま」を載せました

            6月定期講演・交歓会(平成21年)


  ラーメンチェーンでの世界制覇を目指す「幸楽苑」

社長 新井田 傳氏(郡山市)

    「夢を求めて47年」

雨漏りのする食堂だった。18歳で働き始めた職場だ。父の店を助けた。
夢を求めて
47年。全国430店舗になった。日本1のラーメン屋に輝く。
東証
1部上場企業の社長だ。ラジオ局FMふくしまのトップにも先日、
就任した。花のアラ還の
64歳。 


次の夢は全国千店舗だ。長州(山口)薩摩(鹿児島)は必ず抑えたい。
亡き祖母に、寝物語で聴いた戊辰戦争の惨状と屈辱。会津軍戦死者の
埋葬は官軍が禁じた。野良犬が喰いちぎり、カラスがついばんだ。
死臭が町を覆った。幼児ながらに憤った。古里会津の血がたぎる。


夢は果てしない。世界制覇だ。日本式ラーメンのブームが中国で起きている。
アメリカはカップ、インスタントラーメンで日本を上回った。韓国、台湾…。
本物の味に国境はない。世界の幸楽苑を目指す。
会津の生んだ医聖・野口英世を敬う。 



栄光の道のりは恥辱でスタートした。会津若松の自宅で大学浪人時代、
忙しい時だけ、店を手伝った。雨が降ると桶を持って走り回るような
オンボロな店だった。当然、来店者は少ない。
8割は出前に頼っていた。
当時の店の名は「味よし食堂」だった。人手がない。散々、待たせる。
あげくの出前。「味よしなんて名前、変えろ!」。
何度、お客に怒鳴られたことか。



会津から郡山への進出。第1号は希望ヶ丘店だった。単身で乗り込み、
アパート暮らしをしながら駅前の物件を探し回った。
さらに会津の店舗経営と忙殺された。奥さんも心に決めた。
「家族と一緒でなければ夫は仕事に専念できない」。
幼い
2人の子供を連れて郡山に移り住んだ。人生最大の岐路だった。


人気の幸楽苑の味の原点は、実は郡山での新しい家庭生活の中から生まれた…。


企業説明会には必ず出席、じかに学生に訴える。幸楽苑が無名のころ、
学生はほとんど見向きもしなかった。ラーメン屋…、茶化しに座った
学生たちがいた。「絶対に伸びる。将来は上場もする」。懸命に訴え、
夢を延々と語った。学生の表情が変わった、熱意、情熱に感動、
入社希望が相次いだ。


「家庭、学校でも人間教育をしなくなった。
だから幸楽苑では人間教育もする」 
                        
                                           (小林富久壽)

  6月30日(水)午後6時半☆福島県庁敷地内 杉妻会館
024-523-5161)☆3500円(飲食交歓含む)☆日本一のふるさとを創る会事務局
=タカラ印刷(福島市渡利字絵馬平
86-9 024-526-4303
連絡員=小林富久壽(プロジェクト・えこ、090-2606-8034 
024-525-4069
ファクス)林由美子(タカラ印刷、090-2607-4101
☆参加者のご連絡をお待ちしています(
28日まで、同行可)。
7月の講演・交歓会 21日(火)午後6時半、杉妻会館 講師は、
大霊界で義経、信長らに突撃インタビューのユニーク本を出版した
漫画家ややまひろし氏。