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           2月定期講演会平成14年

    
 お菓子の蔵 太郎庵社長(会津坂下町)
          目黒 督朗氏
    「会津にこだわり 夢街道を走る」


             高校を卒業、会津若松市の和菓子屋の“でっち”に入った。
          昭和43年の春だった。


          同級生はかっこいい背広姿のサラリーマンだった。休みは、
          車でデート。大学に進んだ友は、帰省で東京を自慢した。


          目黒さんはうす汚れた作業服だった。どこに行くにも自転車、
          6畳に4人の住み込み生活。月給は同級生の半分以下だった。
          夢に燃えて飛び込んだ新しい人生。苦い味がした。


              6年間の修業を終え、会津坂下のチッチャな菓子店を父から継いだ。
          いも太郎―。“デビュー作”である。東京の修業時代に描き続けた夢。
          オンボロ車に看板とスピーカーを付け選挙顔負けの宣伝を繰り広げた。


          味のうまさ、ネーミングのおもしろさで人気を呼んだ。忙しいため
          作業中も走った。着ている白衣がなびく。「風のいも三郎」の愛称が
          生まれた。小説「風の又三郎」をもじった。



             国内の有名菓子店は全部、視察・研修した。外国にも足を運び、
          研究した。欧米が中心。昨年だけでもフランス、ベルギーなどに
3回。
          今でも毎月のように東京の菓子学校などの研修に参加する。


          毎日、従業員に社長通信を配る。正月、出張、海外研修、必ずファクスで
          伝える。従業員も業務日報で社長に応える。


          父からバトンを受け
28年。店舗は会津に10店、従業員120人。
          売り上げは、
800万円から10億9千3百万円と飛躍的に伸びた。
          不況でも増収増益が続く。


          「業績不振を不況のせいにし過ぎる。
8割は会社の内部要因、2割が
          外的要因です」


          「太郎庵があるから会津は、いいところ、と観光客に言われたい」


           会津にこだわる。夢街道を走る。


                幼いころ両親の眠っている姿を見たことがない。朝4時ごろに起き、
           夜の
12時近くに床に就いた。父は作ったまんじゅうを自転車で
           売って歩いた。1個、2個、3個‥。


           目をつぶると、裸電球の下で黙々と働く父母が走馬灯のように浮かぶ。


           父が昨春、
80歳で長い旅に出た。告別式の挨拶で声を詰まらせた。
           「また、縁があり、生を受けたならば、裏通りで菓子屋をしている
           両親のもとで再び、太郎庵を立ち上げたい…」


           最後の別れ、小さくなった母がジーと耐えていた。
           すすり泣きに包まれた。


                                                      (小林富久壽)