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第2のふるさと福島 ご栄転さよなら講演 日本経済新聞福島支局長 小池正夫氏 「走った 書いた 楽しんだ 2年9ヶ月」 |
テレビ各社のライトが舞台を光々と照らしていた。
福島市の瑞竜寺本堂。福島市民によるミュージカル
「人類の破片」が初上演されていた。
原爆につながる模擬原爆は昭和20年7月20日、
日本で初めて福島に投下された。
14歳の、いたいけな少年が犠牲になった。その惨劇の劇化だった。
初公演の会場は多くの観客の人息れもあり、蒸し暑かった。
戦後60年である平成17年のその日だった。
市民俳優たちはステージで脚光を浴びていた。
そこから遠く離れた、夕暮れの駐車場に一人の男が立っていた。
次々に訪れる市民を案内していた。
「人類の破片」のTシャツ姿、手にはミニライトが光っていた。
日経新聞福島支局長の小池さんだった。
公演は全国に大きく発信された。
「福島の人類の破片」を、よそ者の彼は縁の下で支えた。
最初からミュージカルを育んで来た。日経新聞でも
全国ニュースで扱った。
記者の基本であり、命でもある「足による取材」「現場主義」に徹した。
電話による取材やパソコンでの調査を嫌った。
本人に会い、表情や口調、雰囲気にも神経をとがらせた。
納得できるまで足を運び、丁寧に、緻密に取材した。
「元気ある企業」欄は売りの一つであった。
好奇心の旺盛さと行動力は抜きん出ていた。
中学、高校時代に自転車、ヒッチハイクで全国を回った。
新聞・牛乳配達、建築現場などで資金を貯めた。
高校卒業までに足を入れなかったのは沖縄と高知県だけだった。
赴任した福島県内も走り回った。
経済記事だけでなく、温泉、農業、地域おこしなど
比較的やわらかい記事も書きまくった。
取材だけでは満足できないこともあった。
喜多方では「知的のんべえのための酒造り講座」にはまり、
足繁く通った。福島ではリンゴの木のオーナーになり、
真っ黒に焼け、汗にまみれた。心の通う友人、知人は
県内各地に生まれた。送別の大・小宴は数えられないほどだった。
カラー、縦じまシャツを好んで着る。
センスが光る。他人と同じことをあまり好まない。
ポリシーでもある。ダンディーの56歳。