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後半に「さよなら講演と送別の宴」、その夜のひとこまがあります。

               2月定期講演会(平成16年)

  本社を東京から保原町に移した売上1500億円企業

       富士通アイソテック社長 川勝匡紘氏

 「パソコンを取りまく環境と元気な社会」

                     110数万円のパソコンのもうけは、どのくらいと思いますかー。
              数万円?、数千円?‥。否、わずか数百円である。信じられない
              ほどの薄利。
100万台以上と大量生産する薄利多売である。
              労賃
20から30分の1の中国などに移転された工場と競う。
              勝ち残り戦略は熾烈を極める。

             社長じきじきにビデオを手に、工場、社内を撮影、人、物の流れ
              などを見極める。問題を見つければ、すぐに改善を指示する。
              生産ラインを短縮、コストダウンするなどの改革を実現した。
              一方、トップセールスで東京に頻繁に足を運び、仕事を取って来る。
              フットワークの良さは、定評がある。省資源・環境保護にも力を入れる。
              
OА機器などのリサイクル事業にも取り組み、業界でトップクラスの
              リサイクル率を誇る。「社長室なんていらない」と冗談半分?にいう
             “行動・改革派社長”。同労働組合は、いちもくも、にもくも置く。
                   
                    売り上げ額1547億円(平成14)、従業員約744人。
              富士通パーソナルビジネス本部長代理(
IT担当)から平成146月、
              関連会社のアイソテック社長に就任した。

             大学受験の文科系模擬試験で全国10位以内に輝いたことがある。
              だが「役人生活は面白くない」と志望先を東大法学部から
              工学部(電気工学科)に急きょ変更した。都立日比谷高校
3年の夏
              だった。

              さすがに
1年生の時は慣れない理系に「苦労した」と振り返る。
              鼻持ちならない話になりがちだが、嫌みを感じさせない得な人柄である。

             昭和446月に富士通に入社した。「当時の大手電気メーカーは、
              多くが先進国のメーカーと提携していた。純国産で頑張っていた富士通に
              ひかれた」と動機を語る。情報処理技術部電算機技術部方式課を振り出しに、
              コンピュータなどの開発一筋を歩んだ。世界的な製品開発に向け、
              燃えに燃えた。                        

                    昨年12月、本社を東京から保原町に移転した。パソコン、プリンター、
              サーバーなどを作る。工場見学を一層、受け入れる。パソコンの組み立て
              など学生対象の教室も検討している。地域と世界を考える
              “グローカル企業”を引っ張る
57歳。                 
                                    (文責・小林富久壽)  
 
                さよなら講演と送別の宴

              平成20年7月30日、福島市のロイヤルホールで催されました。
              富士通アイソテックの本社を川崎から伊達市(当時は保原町)に移し
              移転後の初代社長として6年間、陣頭指揮をして来ました。


              労賃激安の中国の工場にも競争で負けない富士通アイソテックを
              作り上げました。金メダル級の足跡を残した川勝さんは
              常任顧問に就任、後進にバトンを譲りました。

              大会社の社長でありながら実に庶民的な方でした。豪華な
              社長車は使わず、阿武隈急行で福島の自宅から保原駅に行き、
              そこから会社まで歩いて通い続けました。一方、親会社の富士通には
              歯に衣を着せず苦言、提言をする。魅力のあるリーダーでした。

              さよなら講演では「福島の思い出」のテーマで語りました。
              社長就任早々、職場では工員同士が言葉を交わさず、雰囲気が
              悪かったそうです。明るい職場を作るためあいさつをまず奨励しました。
              でも指示を完全に無視する工員がいました。川勝さんが
              あいさつをしても黙っていました。

              川勝さんは悩みました。専門家に相談しました。「簡単ですよ。社長が
              率先してあいさつをする。相手が返すまで、やり続ければいい。
              それだけです」

              無視され続けながらも川勝さんは、その工員にあいさつをかけ続け
              ました。どのぐらいの時間が掛かったか。新社長の、会社、社員に
              かける情熱、熱い思いが通じました。問題の工員も明るく、あいさつを
              するようになったそうです。職場の雰囲気が良くなりました。

              講演会では福島の行政、街の問題、活性化対策などでも実にいい、
              指摘、提言も行いました。行政にすぐに反映できることもありました。

              強力な福島応援団になれる方です。社長を譲り、時間も出来ます。
              より自由な発言も可能です。今こそ、県を始めとする行政は彼の
              ような逸材の声を聴き、活性化に活用すべきです。

              6年間、付き合いをさせていただいての実感です。

                その夜のひとこま