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写真で綴る「その夜のひとこま」が後半にあります。

       3月定期講演・交歓会(平成20年)

       会津の顔 歴史春秋社社長
 
    阿部隆一氏(会津若松市)



     「会津は今」

秘書課時代に辞職した。会津若松市役所―。市史編纂の仕事をしていた。あまりにも重い歴史、
咲き誇る文化の花、息を呑む雄大な自然…。「会津」にはまった。後世に伝えねばならない。
鶴ヶ城の桜が美しい
38歳の春だった。北日本印刷・歴史春秋社を起業した。 

印刷、出版の道を歩んで39年。「経営が大変で店をたたまなければとならないと思ったことは
3度や4度できかない」。地方出版は全国的に厳しい。最盛期に比べ会社の数は半減したとされる。
そんな中、「会津」の
2文字にこだわり続けた。


歴史、偉人、文化、民俗、教育、自然…。会津の全てを扱った。1部の会津外を含め
1200点、出版した。昭和45年、「会津の峠」を出した。3ヶ月後ころから注文が殺到した。
「最初は幾ら出たか数えていた。最後のころは数え切れないほど増刷した。7,8万は売れた」。
全国に広がった「峠ブーム」の火をつけたという。



先の戦争(戊辰)の話になると特に熱くなる。会津には、鹿児島、山口の薩長への
怨念が今でも残る。戊辰戦争で敗北後、数ヶ月の会津の城下―。腐乱した会津藩士の
死体が散乱していた。悪臭が漂う。切腹した若者は白虎隊士か、首のない屍も。
カラスがついばみ、犬が食いちぎる。目を覆う惨状…。
「賊軍として新政府軍が埋葬を許さなかったからだ。この時の恨みが骨の髄まで
しみ込んだ。和解は簡単には出来ない」



内容のある本ならば赤字覚悟で年、5点は発刊する。「地方出版には、地方出版の
やるべきことがある」。今、取り組んでいるのは会津藩の簗田家で
200年書き継がれた
古文書の復刻。文科省も評価、期待している。「第1期だけでも
50巻になりそう。
生きているうちには完成しない」と笑う。


朝日新聞の好連載「ニッポン 人・脈・記」。その「わが町で本を出す」で取り上げられた。
「国家の品格」では藤原正彦氏が会津武士道を高く評価した。本当にうれしく、ありがたい。



「親が子を、子が親を殺す。何でもありの荒廃した社会になった。
『ならぬことは、ならぬものです』。今こそ、会津藩の教えが必要だ」


タウン誌「会津嶺」、季刊・会津人群像、雑誌「歴史春秋」を出版する。
鶴ヶ城を復元した横山武・元市長を義父に持つ。県文化功労賞を受けた
会津の顔の
77歳。

                              
                               (小林富久壽)
    


                           その夜のひとこま