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秘書課時代に辞職した。会津若松市役所―。市史編纂の仕事をしていた。あまりにも重い歴史、
咲き誇る文化の花、息を呑む雄大な自然…。「会津」にはまった。後世に伝えねばならない。
鶴ヶ城の桜が美しい38歳の春だった。北日本印刷・歴史春秋社を起業した。
印刷、出版の道を歩んで39年。「経営が大変で店をたたまなければとならないと思ったことは
3度や4度できかない」。地方出版は全国的に厳しい。最盛期に比べ会社の数は半減したとされる。
そんな中、「会津」の2文字にこだわり続けた。
歴史、偉人、文化、民俗、教育、自然…。会津の全てを扱った。1部の会津外を含め
約1200点、出版した。昭和45年、「会津の峠」を出した。3ヶ月後ころから注文が殺到した。
「最初は幾ら出たか数えていた。最後のころは数え切れないほど増刷した。7,8万は売れた」。
全国に広がった「峠ブーム」の火をつけたという。
先の戦争(戊辰)の話になると特に熱くなる。会津には、鹿児島、山口の薩長への
怨念が今でも残る。戊辰戦争で敗北後、数ヶ月の会津の城下―。腐乱した会津藩士の
死体が散乱していた。悪臭が漂う。切腹した若者は白虎隊士か、首のない屍も。
カラスがついばみ、犬が食いちぎる。目を覆う惨状…。
「賊軍として新政府軍が埋葬を許さなかったからだ。この時の恨みが骨の髄まで
しみ込んだ。和解は簡単には出来ない」
内容のある本ならば赤字覚悟で年、5点は発刊する。「地方出版には、地方出版の
やるべきことがある」。今、取り組んでいるのは会津藩の簗田家で200年書き継がれた
古文書の復刻。文科省も評価、期待している。「第1期だけでも50巻になりそう。
生きているうちには完成しない」と笑う。
朝日新聞の好連載「ニッポン 人・脈・記」。その「わが町で本を出す」で取り上げられた。
「国家の品格」では藤原正彦氏が会津武士道を高く評価した。本当にうれしく、ありがたい。
「親が子を、子が親を殺す。何でもありの荒廃した社会になった。
『ならぬことは、ならぬものです』。今こそ、会津藩の教えが必要だ」
タウン誌「会津嶺」、季刊・会津人群像、雑誌「歴史春秋」を出版する。
鶴ヶ城を復元した横山武・元市長を義父に持つ。県文化功労賞を受けた
会津の顔の77歳。
(小林富久壽)
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