| 故事・ことわざその他 | 意 味 | 由 来 | |||
| さいおうのうま |
⇒ |
な行 |
にんげんばんじさいおうがうま 人間万事塞翁が馬 |
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| さいくん 細君 |
・自分の妻の謙称 ・(同輩以下の)他人の妻の称 ・日本では妻君ともいう 追記 山口 修氏(佛教大学教授)は <細君とは武帝の時代、鳥孫・うそんという国に輿入れした江都王の王女の固有名詞で、後につれあいをさす語になった>としておられます |
”漢書”東方朔伝より 漢の武帝の時代、土用の暑気よけの儀式に供えた肉を臣下に配られるのが遅れ、東方朔は勝手に肉の一部を持ち帰った。武帝にしかられ<命令を待たなかったのは無礼、剣で切ったのは壮烈、少し取ったのは廉潔、細君にやったのは親切でしょう>と笑わせ、<細君につかわせ>と酒一石・肉百斤を賜った |
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| さきんずればひとをせいす 先んずれば人を制す <先即制人、後則為人所制。> |
人より先に事をすれば、人を支配する事が出来る |
”史記”より 始皇帝の死後挙兵した陳勝らに呼応しようと、会稽郡の長官・殷通が言った言葉。項梁と項羽は逆に殷通を殺して長官の地位と部下を奪って挙兵した |
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| さけはひゃくやくのちょう 酒は百薬の長 |
酒はあらゆる薬のなかで最も身体によいものだ |
”漢書”より 経済一般を記した篇に <塩は食肴の将、酒は百薬の長・嘉会の好、鉄は田農の本>と記されている
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| さたん 左袒 |
(左のそでを脱いで左肩を出す) 他の人に同意する、味方すること |
”史記”より 漢の周勃(しゅうぼつ)が呂氏の乱(劉邦の妻一族が実権を握っていたこと)を鎮定する時に、<呂氏に荷担する者は右袒せよ、劉氏に味方する者は左袒せよ>と言った時、全軍左袒した |
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| さるものはおわず |
⇒ |
や行 |
ゆくものはおわず・・・ 往く者は追わず・・・ |
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| さんいん・さんようちほう 山陰・山陽地方 |
日本の中国地方の日本海側と瀬戸内海側の呼称 |
中国では川の南側・山の北側を<陰>、川の北側・山の南側を<陽>と呼称したことから |
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| さんこのれい 三顧の礼 |
目下の人を何度も訪問し、礼を尽くして頼むこと |
”杜甫・蜀相詩”より 三国時代、蜀の劉備が20歳近くも若い諸葛孔明を3度尋ね、自軍に迎えた故事 |
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| さんじゅうにしてたつ 三十にして立つ 三十而立・さんじゅうじりつ |
三十歳になれば学識等が確立して世に立つ自信を得る事 追記 <子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず> |
”論語”より 孔子のこの語から30歳を而立の年という |
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| さんじゅうろくさく、にぐるをこれじょうけいとす 三十六策、走るをこれ上計とす <三十六策、走是上計> |
たくさんの戦略戦術の中で逃げるのは最も上手な戦い方である 追記 <三十六計、逃げるに如かず>の元 |
”南斉書”より 南北朝時代に活躍した壇道済(だんどうさい)という将軍の戦い振りを評した言葉。北魏と戦った際に、むやみに敵に当たるよりも、退くことを上策とした。 |
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| さんねんなかずとばず |
⇒ |
な行 |
なかずとばず 鳴かず飛ばず |
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| さんにんとらをなす 三人虎を成す |
嘘やうわさ等も多くの人が言えば、事実であるかのようになってします事のたとえ 類義語 ・曾参殺人 ・浮石沈木 |
”韓非子”より 街中に出るはずの無い虎でも、三人が「虎が出た!」と言えばそれを訊いた者は信じてしまう |
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| しかをおうものはやまをみず 鹿を遂う者は山を見ず |
利益を得ようと夢中になっている者は、他を顧みない |
”虚堂録”より |
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| しかをさしてうまとなす 鹿を指して馬と為す <謂鹿為馬> |
人を馬鹿にしてだます、無理強いする |
”史記”より 秦の始皇帝が没するとオリあらばと帝位を狙っていた宦官の趙高は、自分に抵抗する側近がいるかいないか試してみる。二世皇帝の胡亥に”馬です”と言って鹿を指し、反応を窺がい”鹿だ”と言った僅かな人間を暗殺した |
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| しじゅうにしてまどわず 四十にして惑わず 四十不惑・しじゅうふわく |
四十歳であれこれ迷わなくなった事 追記 <子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず> |
”論語”より 孔子が生涯を振り返って言った言葉。 自分の向かう道が正しいと確信して、いかなる事に遭遇しても迷わなくなった。 ここから四十歳を不惑の年というようになった |
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| しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす 死せる孔明生ける仲達を走らす |
死んで後も大きな影響力を持ち現世の人間を動かす |
”三国志”より 蜀の諸葛孔明が五丈原で死んだ時、軍隊はその死を隠して陣営を引き払おうとしたが、魏の司馬仲達はこれを討とうとした。蜀の軍が反撃に出たので仲達は孔明が生きていると恐れて退却した |
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| しちほのさい 七歩の才 |
文才に恵まれている事、すばやく詩文を作る才能がある事 関連句:豆を煮るに萁を焼く⇒ま行 |
”世説新語”より 魏の曹操の子・曹丕と曹植の兄弟は共に文才があったが曹操の死後、即位した曹丕は曹植の才を妬み<七歩歩く間に詩を作れ。作れなければ死罪にする>と命令する。すぐに曹植は兄の無情を嘆く詩を作った |
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| しめんそか 四面楚歌 |
(四面の方角から楚の歌が聞こえる) みな敵であること、孤立すること |
”史記”より 劉邦と天下を争っていた項羽は破れて垓下に包囲されていた。夜陰に乗じて聞こえてくるのは楚の歌。それは劉邦の心理作戦だったが、楚までが劉邦の手に陥ちたと思った項羽は鳥江で逃げるための舟を断って果てた |
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| じゅうゆうごにしてがくにこころざす 十有五にして学に志す 十五志学・じゅうごしがく |
15歳で学問の道に志した事 追記 <子曰く、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず> |
”論語”より 孔子のこの語より15歳を志学の年という |
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| しゅきゅうをあげる 首級をあげる |
討ち取った敵の首をあげる。それにより級をあげる |
戦国時代の秦では富国強兵策の一つとして、敵の首を一つ取ってきたら級(階級)を一つ上げるという方法をとり成果をあげた |
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| しゅつらんのほまれ |
⇒ |
あ行 |
あおはあいよりいでてあいよりあおし 青は藍より出でて藍より青し |
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| しゅとどうき 殊塗同帰 |
手段や方法が違っても、同じ目的や結論に達すること。行く道は違っても同じ処に帰る着く。 |
”易経”より |
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| しゅん 旬 |
・魚・野菜・果物などの最も味の良い時期 ・物事を行う最も良い時期 |
古代の暦で一ヶ月を10日ごとに区切ってその1単位を”旬”としていた。上旬・中旬・下旬とよぶのはそのため |
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| しょうをいんとすればうまをいよ |
⇒ |
は行 |
ひとをいんとすればまずうまをいよ 人を射んとすればまず馬を射よ |
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| じょうぜんはみずのごとし 上善は水の若し |
理想的な生き方(上善)をしたいなら水の有り方に学べ 余談 お酒の名前は”上善如水” 若しを如しと書く事もありますが 本来は”若し” |
”老子”より 水は1・極めて柔軟である。その器なりに姿を変えて少しも逆らわない。 2・謙虚である。低い処へ流れて能力や地位を誇示しようとしない。 3・ものすごいエネルギーを秘めている。急流ともなれば固い岩石をも打ち砕く。人間もそれを身に付ければ理想の生き方に近ずける |
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| しょうにん 商人 |
物を売買する人 |
物々交換だった時代に殷(発祥地にちなみ商ともいう)では貨幣(幣はまだ無かったが)を使って物のやり取りをしていた。その商のやりかたをする人というと言う意味でー商人ーといった |
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| しょくしがうごく 食指が動く |
食指⇒人差し指のこと 食欲が起こる事 物事を欲しいと求める気持ちが起きる事 |
”春秋左氏伝”より 鄭の公子宋が公子家と連れ立って霊公を訪ねていく途中、食指がピクピク動くのを見て<こんな時はご馳走にありつけるんだ>と話した。果たして楚からスッポンの献上が有りふるまわれた。<ほらね!>と二人が笑い合うのを見て霊公が訳を尋ねた。理由を知った霊公はわざと公子宋には料理を出さなかった。怒った公子宋は鼎の中に指を入れて舐め、予言通りにした。 追記 結局霊公はこの二人に殺されてしまう |
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| じょちょう 助長 <・・・予助苗長矣。> |
・力を貸して助け育てること (原典では無理に力を加え、かえって害を与えること) ・ある傾向をいっそう著しくすること |
”孟子”より 宋の国の農夫が苗の成長が遅いのを心配して、苗を引っ張った。 「苗を引っ張って早く伸びるように助けてやった!」という言葉を聞いたその息子が畑に行って見ると、苗は枯れていた |
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| じんせいいきにかんず、こうみょうだれかまたろんぜん 人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん |
人間は金銭や名誉のためでは無く、人からよせられる思いやりや、理解してくれる気持ちに感じ、こたえて仕事をするものだ |
”唐詩選”より <述懐>と題する詩の一節で唐の二代目皇帝・太宗に仕えた魏徴の作。中国史上最高の皇帝といわれた太宗は即位する前、兄弟と骨肉の争いをしたが魏徴は兄側の謀臣だった。勝利した太宗に才能を認められ幕下に迎えられて、東方の宣撫に出向く時に詠んだとされる。 |
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| じんせいはちょうろのごとし 人生は朝露の如し |
人生は朝の露のようにはかない
余談 |
”漢書”より 漢の武帝の命により匈奴に使者として入った蘇武は、内乱に巻きこまれ匈奴に抑留された。匈奴の王は蘇武の人柄を見込んで家臣にしようとしたが頑として受けない。一方同じ漢の家臣で匈奴と戦った李陵は激戦の末捕虜となった。李陵もその人柄を認められ、匈奴に降って優遇される。その李陵が極寒の地に流されていた蘇武を説得する。「人生は朝露のようにはかないのに、どうして貴方のように苦しむ必要があるのか」 それでも蘇武の意志は変わらなかった
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| しんとうをめっきゃくすればひもまたすずし 心頭を滅却すれば火も亦た涼し |
心頭(こころ)の雑念を消滅しつくせば、火の中にいても涼しく感じるものだ 余談 日本の戦国時代、織田信長が武田勝頼を討って甲斐に攻めこみ、その時臨済宗の慧林寺(えりんじ)を焼き討ちにした。快川和尚は衆僧と共に座し、この句を誦しながら死に就いたと伝えられる
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”杜荀鶴”の七言絶句の第四句 |
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| すいぎょのまじわり 水魚の交わり |
水と魚の関係のように互いにはなれることの出来ない親しい交際 |
”三国志”より 拠るべき地盤のない劉備は諸葛孔明の”天下三分の計”により蜀をめさず。さらに孔明を軍師として招き、寝食を供にする程の信頼をよせるが、関羽、張飛に過ぎたるを非難される。その時に言った言葉 |
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| すいこう 推敲 |
詩文の語句や文章を何度も練り直すこと |
”唐詩紀事”より 唐の詩人・買島(かとう)が詩を作った。<・・・その夜、僧は月の光にぬれて、門をたたいた・・・>の所で、僧は敲く(ドンドンたたく)にするか、僧は推す(ギイ〜とおす)にするかで思い迷った |
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| すごろく 双六 |
遊戯の一種 |
中国では双陸(そうりく)という 三国時代に始まり唐代に盛んになった。 |
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| ずさん 杜撰 |
・著作物などに誤りが多い事 ・物事がでたらめでいいかげんな事 |
”野客叢書”より 杜黙(ともく)という人が作る詩は、詩型によって色々規則があるのに、それに合ってないものが多かった。杜黙が撰(著作するの意)したもの、杜撰と言われるようになった
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| すもう 相撲 |
すもう |
中国では相撲(そうぼく)という 秦・漢では”角抵”と称し、晋になってこの名になる。女子も上半身裸で戦い、北宋の司馬光が禁止するよう求めた |
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| せいてんのへきれき 青天の霹靂 |
青く晴れた空に突然雷鳴が鳴り響く が転じて 思いがけない事が突然起こる事 |
陸游「九月四日鶏未だ鳴かず起きて作るの詩」より 南宋の詩人で愛国と義憤の詩を多く作った。詩の中での意味は<・・・長い間潜んでいた龍のように、青空ににわかに雷鳴が響く>と筆勢の激しさ、躍動する様子をたとえた言葉だった。
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| せきへきはたからにあらず 尺璧は宝に非ず |
(一尺もあるような璧・宝玉が宝なのでは無い)から それよりも時間のほうが宝だという意味 |
”淮南子”より |
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| せっかく 折角 |
1)高慢な人をやりこめること 転じて 力の限り尽くすこと、そんな事態 2)わざわざ |
1)”漢書”より 朱雲(しゅうん)という人が、これまで誰も勝てなかった五鹿(ごろく・地名)の充宗と論争して勝った事を、<よくぞ鹿の角を折った>と人々が讃えた故事 2)”後漢書”より 林宗という人が頭巾をかぶっていた所、雨に濡れて片方の角が折れ曲がった。人々がこれを真似てわざと角をおりまげた事から |
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| せっかん 折檻 |
君主を強く諌める 転じて 厳しく意見して諌める 体罰で諌める |
”漢書”より 前漢の成帝の時、帝の師・張禹(ちょうう)を悪臣であるから殺させて欲しいと朱雲が願い出た。成帝は激怒し、朱雲を死罪にしょうとして、殿上から引きずり下ろさせようとした。朱雲は檻(てすり)にしがみついて動かないので檻が折れた。帝は調査のあと朱雲の意見を入れ、その直言の記念に折れた檻を直さずそのままにした |
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| せっさたくま 切磋琢磨 |
・学問や人間を磨き上げる事 ・友人同士が励まし競い合いして向上する事 切:骨等を切り刻む事 磋:玉や角を磨く事 琢:ノミで削って形を整える事 磨:石をすり磨く事 |
”詩経”より |
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| せんざいいちぐう 千載一遇 <夫万歳一期、有生之通塗、千載一遇、賢智之嘉会> |
千載は千年のことで、長い年月のこと。千年に一度あるかないかの機会。めったにない良い機会。 | ”文選”より 東晋時代の袁宏(えんこう)が”文選”に収められた<三国名臣序賛>で、三国時代の名臣20人を称賛して書いた一節。「孟子や買誼(かぎ)は才能がありながら名君にめぐり会えなかった。千年に一度でも聖人や賢人に巡り会えるならばそれは幸である。」
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| ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ 前車の覆るは後車の戒め |
前人の失敗は後人の戒めとなる |
”漢書”より 漢代の買誼(かぎ)という学者が文帝に献策した文の中にある。前車は秦の始皇帝の強権政治の無理がたたって僅か二代で滅びたことを指す。 |
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| ぜんじょう 禅譲 |
天子が位を世襲せず、徳のある人に譲ること |
伝説的な聖天子・尭〜舜〜禹へと位が譲られた それぞれ賢人の誉れ高い人物を後継者とし、”賢を伝えて子に伝えず”の推薦方法が古代の中国でとられた |
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| せんじょうのつつみもありのい っけつより 千丈の堤も蟻の一穴より |
どんな小さな事でも油断すると大変な事になる |
”韓非子”より 千丈(きわめて長いこと)程もある堤でも蟻の出入りするような小さな穴から崩れるから油断してはいけないと教えた |
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| せんせんきょうきょう 戦戦兢兢 <不敢暴虎、不敢馮河、人知其一、莫知其他、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄氷。> |
ひどく恐れて慎む事
付記 |
”詩経”より 西周の末の幽王の時代に、ある人がその悪政をなげいてうたったものだとされる。戦戦兢兢の前の句は孔子によって広まり、後の句は弟子の曾子(曾参・そうしん)の臨終の言葉として知られている。 |
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| せんべんをつける 先鞭をつける |
・人より先に馬に鞭を当てて走らせる事 ・人に先立って物事に手を付ける事 |
才能があり、意気も盛んであった晋の劉琨(りゅうこん)は、友人の祖逖(そてき)と張り合っていた。その劉琨が別の友人に当てて書いた手紙に由来する。 <矛・ほこを枕にして寝、いつでも戦いに臨めるように用意をしているが、いつも祖逖が自分より先に馬に鞭を当てて戦場に行き、功名を挙げはしないか心配しているんだ> |
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| せんりがん 千里眼 33332 |
千里の先まで見る力を持っている眼 が転じて 未来の事を予測することの出来る能力 |
”魏書”より 北魏の頃、楊逸(よういつ)という人が光州(河南省)の長官になった。良く治世し人々に慕われた。彼が赴任して以来、役人や軍人達が以前のように賄賂を要求しなくなった事を不思議に思った州民が訳を尋ねた。「あの長官は千里眼だから、ごまかせないんだ」と答えた。 しかし楊逸に特別な能力があった訳ではなく、沢山のスパイを配置していたのである。
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せんりのうまはつねにあれども、はくらくはつねにはあらず 千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず <世有伯楽、然後有千里馬。千里馬常有、而伯楽不常有。・・・> |
千里の馬;一日に千里を走るほどの名馬 伯楽;もとは天上で馬の世話をする星の名前。転じて馬の良否を見分ける人 有能な人材はいるのに、それを見出し使う事のできる為政者は少ない。また認めてくれる人がいなければ力を発揮できない。 |
韓愈”雑説”より 韓愈(768〜824)は自分の才能を認めない上位の人への怒りを書いている。 追記 ”韓詩外伝”にも同じ意味の句があり、また”戦国策”には名馬に塩運びをさせていたという話が載っている
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| そうこうのつまはどうよりくださず 糟糠の妻は堂より下さず |
自分が立身出世しても糟糠の妻(カスとヌカで食事するほど苦労を共にした妻)を家から追い出すようなことをしてはいけない |
”後漢書”より 後漢の光武帝に出戻りの姉がいた。この姉が宋弘という重臣に思いを寄せているのを知った光武帝は宋弘をよんで<どうだい?>と薦める。すでに妻帯していた宋弘は<貧賤・ひんせんの交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さずと聞いておりますので>と断った |
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| そうじょうのじん 宋襄の仁 |
(宋の襄公の情け深さ) 無用のあわれみ。見当はずれの人情 |
”十八史略”より 春秋時代の宋の襄公が楚と戦った時、敵の陣立てが整わない内に攻めようと言った司馬の言を<それは卑怯だ>と言って用いないで、負けてしまった |
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| そうしんひとをころす 曾参人を殺す |
間違った情報や、うその情報でも何度も聞かされ続けると信じてしまう、流言の恐ろしさのたとえ |
”戦国策”より 孔子の弟子の曾参は、親孝行で有名な人。その曾参と同姓同名の人が人を殺した。<曾参が人を殺した!>と教える人がいたが、母は信じなかった。しかし次の人もそう言い、3人目も同じ事を言うとさすがの母も、外に飛び出した。 |
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| そうせきちんりゅう 漱石枕流 |
(石に口漱ぎ・くちすすぎ・流れに枕す)と石と流れを逆に言いまちがえたのに認めなかったことから 負け惜しみの強いたと |
”晋書”より 晋の孫楚が”枕石漱流”と言うべき所を言い間違えたのに<石に口を漱ぐのは歯を丈夫にする為、流れに枕するのは耳を洗う為>と言ってのけた |
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| そのこをしらざればそのともをみよ その子を知らざればその友を視よ |
自分の子供が何を考えているのか知りたかったら、友達を見なさい |
”筍子”より |
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