がんこ親爺の片言隻語



「銀行業務改善隻語」
「夢」
「日本農業は実力相応を守るべし」
「年寄りは年寄りらしく」
「平素の修練が大事」
「食糧をエネルギー源とすることの不自然さ」
「疾風に勁草を知る」
「徒然草第三十九段に思う」



「銀行業務改善隻語」
平成19年3月13日

大学を卒業して約30年間銀行員生活を送ったが、私が銀行時代の座右の書は一瀬粂吉氏の銀行業務改善隻語である。今も時々ひもといている。この書は昭和2年5月金融界大混乱の直後に書かれたものである。その第一
「銀行の要素は人にあり、人の本領は意志の強固にあり、意志の強固は不抜の信念にあり。健全なる経営、磐石の基礎は是より生る。」
一瀬氏の足元にも及ばない頑固親爺の独断と偏見の独り言です。ただし生来の酒好きのため「弁ぜんと欲すれば已に言を忘る」かもしれません。



「夢」
平成19年5月18日

北海道の当別町に住んで2年目の春を迎えている。雪が解けて木々の芽が吹き出すのが5月の連休明け。最低温度がマイナスにならないのがこの時期だ。
2年目の庭造りに励む頑固親爺としては一瞬の時間も惜しい。しかし残念なことに体を酷使するとすぐ翌日に響く。腰に来るのだ。したがって作業はあまりはかどらない。だが半隠居の身としては作業の遅れは苦にならない。かえって夢が広がるのだ。
ターシャ・テューダの言葉を借りよう。
「私は90歳になった今も、バラの専門家になりたいと思います。専門家になりたい、なりたい、と夢を追いかけるのが楽しいの。人はだれも、すべての答えを知ることは決してできません。だから、もっと知りたい、もっと極めたいという夢には限りがないのです。もっと学びたいという夢に向かって歩む楽しみは、常にもち続けられるのです。」



「日本農業は実力相応を守るべし」
平成19年6月9日

「ガソリンの代わりにエタノールを使うべし、それが地球に優しいのだ」というわけのわからない話がまかり通っている。
エタノールの原料は何かといえばトウモロコシで、アメリカ・ブラジルが戦略的に対応しようとしている。日本も例のごとく追随して農林省などから補助金まで出して推進するようだ。
しかし一寸考えたらすぐわかることだが、食糧であるトウモロコシを原料にしてエネルギーを作り出すことに力を注げば、食糧不足とまで行かなくてもトウモロコシを原料とするさまざまな食品が値上がりするのは目に見えている。日本ではトウモロコシではなく余った米などを使うようだが、飼料米の開発などの方向になぜ向かわないのか?自給率40%の日本が取り組むべき課題といえるか!もっとほかにやるべきことが山のようにある。
大規模な農地を活用して低コストの農業を進めるアメリカ・ブラジルと同じような発想で勝てるわけがない。日本は芸術的な農業を目指すべきだ。要するに分相応を守るべし。



「年寄りは年寄りらしく」
平成19年12月25日

「暴走老人」と言う本を読んだ。なぜ老人が暴走するのか?、その理由として「社会の情報化へスムーズに適応できないことにある」としている。
私は現在64歳だが、時々暴走しかかることがある。「切れる」のだ。言葉の段階でとめているので大きな問題になっていないが、切れたあとの後味は良くない。年をとると枯れてくるというが、どうも違うようだ。だんだん気が短くなってくる。
心穏やかな暮らしをしようと思ったら無理して情報化というバスに乗り込むこともあるまい。草花や動物を相手にしているほうが心が和む。年をとったらなるべく自然のサイクルに合わせて生活した方が良いようだ。



「平素の修練が大事」
平成20年3月21日

昨年8月以来アメリカのサブプライム問題から金融不安が引き起こされている。ヨーロッパに飛び火して、更に火の粉は日本にまで来ているようだ。日本の銀行は幸いにも、今から10年前の不良債権処理で大やけどをしたせいで、あまり大きなキズをおっていない。
銀行の経営は保守的な運営の方が、最終的には生き残れるのだと思う。「日本の銀行は新しいビジネスモデルがない」などと批判がなされるが、銀行は本来保守的なものだ。保守と言うと何か漫然と現状に甘んじているように感じるが、自らのよって立つところを明確にしようとする(保守)ためには、平素の修練が大事なのだ。100兆円といわれた10年前の不良債権処理の際も、一時的には国の公的資金が入ったが、最終的にこの処理がなされたのは営々と築いてきた銀行の過去の蓄積による。この蓄積は平素の修練によるものだ。

一瀬粂吉編  銀行業務改善隻語 その114
本書到る処に「平素」の文字を使用せり。これ堅実なる地盤を作り、真の信用を得ん事は一朝一夕の業にあらず、全く平素の用意如何に存し、平素の修練が事に触れ、時に臨み六感の活動となりて、機宣の処置となり、又機鋒となるものにして、恰も兵法は平素においてこそ、能く鍛錬修得しおくの必要あるが如し。即ち多年に亘りて不屈の忍耐と、不惑の信念と、不断の努力とを要す。ローマは一日にして興らず、しかも之を亡ぼすは一朝にして足る。思わざるべからず。



「食糧をエネルギー源とすることの不自然さ」
平成20年6月20日

食糧高騰でバイオ燃料に見直し機運が浮上しているとのこと、当然のことだ。とうもろこしをバイオ燃料にしようと言うアメリカの政策に最初からノーと言うべきだったのだ。
ノーと言えなければ無視すればよかったのだ。ところが日本もバイオ燃料に取り組まなければ遅れてしまうと考えたのか、農水省はバイオ燃料の生産拡大に向けての工程表まで作ってしまった。
誰が考えても食糧を(たとえ規格外でも)エネルギーにすることの不自然さはわかるはず。それをアメリカの大統領が旗を振ると日本の前首相などは無批判に受け入れてしまう。頑固親爺としては隠遁生活をしていて利害関係がないので筋書きがすぐよめる。それで石油の高騰と裏で繋がっているのではと勘ぐってしまうのだ。
まあ、おかしいと言う事がわかってきたのだから、大いなる進歩だ。

銀行業務改善隻語その13
「何事も不合理、不自然に始むるものは、その終わりにおいて、必ず不結果を見ざることなし。これ当然の帰結にして、時に遅速こそあれ、結局、物は落つる処に落つ。所謂因果応報の理なり。」




「疾風に勁草を知る」
平成21年2月5日

金融と経済に関する今の状況を100年に1度の危機だと言う。
この100年で日本国家滅亡の危機は太平洋戦争の敗北の時であろうか。この時は全国民が明日を生きられるかどうかわからない惨状に陥った。
その時のような状況を想定して言っているのであろうか。
100年に1度の危機と言っても、いもやかぼちゃで飢えをしのぐくらいの覚悟があればそんなに大騒ぎすることもあるまい。一度重心を落として考え、行動する良い時期なのではないか。過酷な自然の中で生き抜く雑草たちの強さを我々は今一度思い起こすべきだ。
頑固親爺は3年前より農的生活に足を踏み入れ、ほそぼそとした菜園と花木の園芸を楽しんでいるが、毎年頭を悩ますのは雑草取りだ。刈っても刈っても4〜5日もすればすぐにまた伸びだす。雑草はなぜこんなに強いのだろうか?
根が深く土中に入り込んでいるのが一番の理由だろう。根が深ければ少々の環境の変化に耐えていける。
翻って我々の生活を顧みるに「根の深い生活」とはどんな生活か。
平素より精神・肉体を鍛練し、かつ「足るを知る」生活であろうか。
疾風に負けず勁草になることを心がけることが今必要なのだ。




「徒然草第三十九段に思う」
平成22年1月28日

或る人、法然上人に、「念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて行をおこたり侍ること、いかがしてこのさはりをやめ侍らむ」と申しければ、「目のさめたらむ程念仏し給へ」と答えられたりける、いと尊かりけり。 「念仏を唱えているときにねむくなって困ります、どうしたらよいですか」という質問に、法然上人が「目の覚めたときに念仏したらよいのじゃ」と答えたことを、吉田兼好は尊い言葉だと評価している。 私もこの法然上人の言葉にほっとする。この数年いなか暮らしに耽溺し、いい加減に生きることに恥を感じなくなっているので、この言葉がすっと体の中に入って来るのであろうか。大部分の時間をかみさんと子犬(コーギー犬)と自然を相手に暮らしているので誰に気を使うこともない(かみさんには少々気を使うが)。気を使わないということは自分の心に素直になれる。 念仏中に眠くなるのはよくあることで、それを法然上人はお認めになった。いい加減に生きている身には、上人のこの言葉に安心するのだ。 そして目が覚めたら念仏すれば良いのだという言葉にも安心する。まさに流れる雲のような生き方でも認めてくれているからだろうか。



トップページに戻る