日月神社御由緒     御祭神 : 天照大神 月読尊 素盞鳴尊  
  当日月神社は、第十二代景行天皇の御代に日本武尊が東夷鎮定の途上、上総国鬼泪山鬼退治にあたりこの地に日月の幟を立て、尊崇する日月の神即ち天照大神、月読尊に武運を祈った事がその創始であり、その後日月の神とその弟神素盞鳴尊が鎮座され日月神社として万民の安寧をお護り下さるようになった。
 一時期神社の傍に「日月星山天羽院放光
寺」という寺があった為か、当日月神社は一名
「日月星山」とも呼ばれ、現在も里人は親しみを込めてこの神社を「お山」と呼んでいる。
 放光寺縁起によれば、文武天皇の御宇、中納言大臣高市丸が霊夢による吉野詣で得た吉野姫は長じてその美貌と歌舞管弦の才を開花させ、その舞姿は天女が天羽衣を翻すが如くであった故に、天皇から天羽姫の号を賜った。
 姫は天皇崩御の後この佐貫の里に入り髪をおろし尼になられたが、その最後の舞には
天人が舞い降り共に舞ったと言われる。
 姫はその後村人が日月星山の側らに作った庵に住まい、日神月神に七郷の氏子を救い給えと祈り過ごした。姫亡き後、日月星山はそのあらたかな霊験を伝え聞いた人々で門前市をなすようになった。
 時と共に門前の盛衰は移ろい今に至っているが、御鎮座の三貴神は変わることなく参拝者の、家内安全、生業の繁盛、農海事の豊作豊漁安全、学問歌舞音曲の成業、健康の維持快復、を加護裨益下されている。

 平成18年7月吉日
                日月神社氏子総代