榛東村かるた

赤城榛名を望む村
(あかぎはるなをのぞむむら)
群馬県のなかほどに利根川を挟んで赤城山(1828m)と榛名山(1449m)があります。榛名山東麓に広がる榛東村からは、「裾野は長し赤城山」と「上毛かるた」にうたわれている赤城山と霊峰榛名の山々を望むことができます。
いのしし防いだしし土手
(いのししふせいだししどて)
昔の長岡の絵地図に「しし土手」というのが描かれています。昔このあたりには、猪がたくさんいて、山から下りて来ては畑に作った芋や野菜を食べ荒らしました。村の人々は、これを防ぐために高い土手を作ったのです。これが「しし土手」と呼ばれる物です。
海に親しむ臨海学校
(うみにしたしむりんかいがっこう)
臨海学校は、海のない子供たちに海水浴を体験させ、身体の鍛錬、集団生活等を目的に作られました。施設は新潟県出雲崎町にあり、渋川広域圏の小学校の子供たちが主に利用しています。榛東村の小学校も毎年夏休み2泊3日で5年生が臨海学校に行っています。
絵地図作って村探検
(えちずつくってむらたんけん)
小学校3・4年生の社会科では、副読本「わたしたちの榛東村」を活用しています。この学習では村がどのようになっているか学校のまわりを探検して、土地の使われ方や道路の様子、主な建物、家の集まりかたなどを調べ、わかったことを絵地図にまとめます。
大きなため池広がる田畑
(おおきなためいけひろがるたはた)
自衛隊駐屯地の正面から前橋・南新井線を東の方に下っていくと、左に大きな池があり、水田が広がっています。榛東村には、このようなため池が20以上もあります。村の人々は昔からたくさんのため池をつくって田を広げました。
茅野遺跡の水場跡
(かやのいせきのみずばあと)
茅野遺跡は、今から約2500年から3000年前ほど前の縄文時代後期から晩期にかけての村のあとです。遺跡からは水場・作業場・住居跡・墓などをはじめ、耳飾り・石版などの祭祀遺物が大量に確認されました。茅野遺跡は平成5年に国の史跡に指定されました。
宮昌寺のサルスベリ
(きゅうしょうじのさるすべり)
宮昌寺は、伝説によると、伝教大師の創設による船尾山坊が焼失した際、薬師如来が飛んで当寺境内の池に落ちたのでここに寺を建てたといわれています。寛永8年(1631)宮昌寺と改称。寺地内にある」サルスベリは樹齢約300年、樹高8m。村の指定天然記念物です。
黒髪神社の節分会
(くろかみじんじゃのせつぶんえ)
山岳信仰の霊山相馬山の里宮として建てられたのが黒髪神社です。完成は明治20年。境内には、村の天然記念物である赤松やモミに大木があります。節分祭りには村内をはじめ前橋・高崎方面からの講社・信者で賑わいます。
県都の夜景見える村
(けんとのやけいみえるむら)
榛東村は、群馬県庁のある前橋市の西側にあり、標高183.7mから1411mまでの間にあります。空気も澄んでいて晴れた夜には星もよく見え、高台からは前橋・高崎・渋川方面の美しい夜景の広がりを一望に見ることができます。
心をつなぐふるさと交流便
(こころをつなぐふるさとこうりゅうびん)
「ふるさと交流便」は、村出身者で全国各地に在住している人々に、あるいは将来再び村に戻ってくるかもしれない「あしたの家族」に、現在のふるさとの様子を知らせたいと、平成元年に創刊され、年2回ほど発行しています。
産業祭で村づくり
(さんぎょうさいでむらづくり)
村づくり産業祭は、毎年10月下旬ころ北小学校校庭または総合グランド等で盛大に行われてきました。小中学校の吹奏楽や榛東ふるさと太鼓の演奏イベントがあり、農産物やワインなどの直売、山菜おこわ・焼きそば・もつ煮などのサービスコーナーもあり終日村民で賑わいます。
しんとう温泉ふれあいの湯
(しんとうおんせんふれあいのゆ)
榛東村には、昔ガラメキ温泉がありましたが、今は利用されていません。新しく村内に温泉を掘り出し利用できるようになりました。名称も「しんとう温泉ふれあいの湯」と決まり、村内外の多くの人々の心身のリフレッシュの場として利用されています。
水田うるおす群馬用水
(すいでんうるおすぐんまようすい)
村の人々は水不足に備え、よその17市町村の人々と力を合わせ群馬用水をつくりました。群馬用水榛名幹線は、利根川の水を取り入れ昭和43年から水が流れるようになりました。群馬用水ができてから田の面積も増え、また畑にも使えるようになり、とても便利になりました。
世界で最初の耳飾り館
(せかいでさいしょのみみかざりかん)
榛東村耳り飾館」は国の重要文化財に指定された茅野遺跡出土の耳飾り約600点を中心に、世界各国から集められた耳飾りを展示する世界で初めて誕生した耳飾り専門館です。「人と耳飾り」をテーマに、館内は「現代」「歴史」「縄文」の3つのコーナーに分かれています。
相馬が原の演習場
(そうまがはらのえんしゅうじょう)
広馬場の西に相馬が原があります。相馬が原はもと御料地でしたが、村の人々はここを借り受け草刈りの場として利用してきました。今では自衛隊が使っていますが、一部はもとの地主などに返されぶどうの栽培が行われています。
高塚古墳郷土の史跡
(たかつかこふんきょうどのしせき)
高塚古墳は、県指定の史跡です。村の南東部に位置し、自然にある小丘陵を利用した全長60mの前方後円墳です。6世紀後半に築造されたものとみられます。家・盾・弓などの埴輪などの出土品があります。
力合わせる一万二千
(ちからあわせるいちまんにせん)
榛東村の人口は、毎年増えています。昭和55年には1万人を越え、平成5年には、1万2千人を越えました。住みよい村づくりのためみんなが力を合わせています。
榛東村の人口 14542人(2006/4/1現在)
常将神社の春祭り
(つねまさじんじゃのはるまつり)
常将神社の祭神は、柳澤寺縁起の主人公千葉常将です。常将の夫人によって承暦3年(1079年)山子田新田に社殿が完成したと言われています。元禄14年(1079年)に現在地に社殿を造営遷座しました。現在の社殿は昭和25年に改築したものです。春秋の祭りには「常将神社太々神楽」が奉納されています。
天明しのぶ大川の桜
(てんめいしのぶおおかわのさくら)
新井地区内の大川のしだれ桜は、村指定天然記念物です。天明3年(1783)浅間山の大噴火の年に植えられたといわれ、樹高23m、目通り周囲3.1m空を圧してたっています。この桜は天明の飢饉をはじめ幕末から明治・大正・昭和の激動の世相を見てきていることになります。
富澤文明孝経の碑
(とみざわぶんめいこうきょうのひ)
「孝経の碑」及び「文明の墓」は村指定の史跡で広馬場八之海道にあります。文政2年(1819年)に富澤文明らによって建てられた孝経の碑は、台石に乗った角柱で高さ165p幅75p
その四面に古文孝経22章全文が刻まれています。文明の墓は門弟たちが師の墓の徳を慕って建てたものです。
鳴くうぐいすよ村の鳥
(なくうぐいすよむらのとり)
昭和56年(1981)3月「ウグイス」が村の鳥に制定されました。梅咲く頃美しい声で鳴くウグイスは村のそこそこおり、鳴き声を聞くことができます。
匂うやまゆり村の花
(にようやまゆりむらのはな)
村の木・村の鳥と共に昭和56年(1981)に「ヤマユリ」が村の花として制定されました。ヤマユリは、ユリ科の多年草で、夏六弁白色で内面に赤褐色の斑点がある大形で香りの強い花を開きます。山野にも自生しています。
ぬくもり伝わる特産品
(ぬくもりつたわるとくさんひん)
榛東村は豊かな自然の恵みを生かして農業を主体に発展してきました。近年観光的価値が高まり農業以外の産業も発展、いろいろな特産物があります。ぶどう、きのこ、まゆなど各種農産物の他ワイン、こけし、ガラス製品、ダルマなど昔からの物や新しく生み出された物もあります。
願いかなえとかつぐ地蔵御輿
(ねがいかなえとかつぐじぞうみこし)
「13区地蔵御輿」は、村指定民俗資料になっています。8月の盆会に青年たちが地蔵御輿を担いで地域内を巡回し、先祖や子供の供養願いごと成就のために祭りをおこなっています。御輿は水沢観音の建築に従事した大工の手による18世紀後半のものと推定され、黒漆を塗り一部には金箔も施されています。
伸びる村の木杉木立
(のびるむらのきすぎこだち)
村の北西部標高500mから900mのところに約260ヘクタールの村有林があり、杉の木が茂っています。杉は昔から村の人々によって植えられ丁寧に育てられてきました。村の木として「杉」が昭和56年(1981)に制定されました。
はるかな眺め富士見峠
(はるかなながめふじみとうげ)
富士見峠は、村有林のある村北西部吾妻山(630m)の南西にあり、榛東村はもちろん関東平野を一望することができます。よく晴れた日には遠く富士山も見られます。また、村有林の記念碑が建っています。
聖宮神社の太々神楽
(ひじりぐうじんじゃのだいだいかぐら)
聖宮神社は宝亀3年(772年)京都より勧請したと伝えられています。神社社殿が再建された祝典に領主桃井播磨守直常が馬乗武術を奉納したと言われ、その後4月15日を祭典の日と定めて神楽を奉納(聖宮神社の太々神楽)する習わしになったと言われています。村の無形文化財です。
ふるさと公園憩いの広場
(ふるさとこうえんいこいのひろば)
ふるさと公園は平成元年オープンして以来村民の楽しみの場として、また新しい公共公園として、村外から注目を集めています。総敷地面積2万7,000u。アスレチック、野外ステージ、ミニ鉄道、レストガーデン、物産センターなどがあり、楽しい憩いの場となっています。
平和愛する村の人
(へいわあいするむらのひと)
昭和56年に榛東村民憲章が制定されました。それには、老人を敬い・・・明るい家庭を築く。郷土を愛し・・・住みよい村をつくる。文化を大切に・・・勤労を尊び・・・スポーツを愛好し・・・明るい村をつくる等、村民の村を愛し平和を愛する気持ちがもりこまれています。
蛍とびかう夏の夜
(ほたるとびかうなつのよる)
昔、榛東村には毎年夏になるとホタルが飛び交うのがみられましたが、近年農薬の使用や環境の変化等でホタルを見るのが少なくなっていったといわれています。しかし八幡神社周辺にある「八幡ホタルの郷」では、地元のボランティアにより人工的にホタルの飼育管理を行いゲンジ、ヘイケのホタルが見られるようになりました。夏の夜の暗がりに美しく明滅する光を見ると幼い頃の思い出が甦ります。
まゆとぶどうの榛東村
(まゆとぶどうのしんとうむら)
昭和56年3月、村のキャッチフレーズ「まゆとぶどうの榛東村」が決定されました。今はだいぶ少なくなったが、昔は桑畑が多く養蚕が盛んでした。また、昭和36年初めてぶどうが植え付けられ、現在は20ヘクタールあまりものぶどう園となり県内外から訪れるたくさんの人で賑わいます。現在では「榛東村ぶどう郷」が北関東随一を誇ります。
見事な彫刻宿稲荷神社
(みごとなちょうこくしゅくいなりじんじゃ)
宿稲荷神社は、有原業平もしくは箕輪城主長野氏ゆかりの神社と考えられます。また、藤原貞業が伏見から勧請したとも言われます。現在の社殿は江戸時代末期のもので、社殿を飾る見事な彫り物は勢多郡花輪(東村)の彫師石原常造の手によるもので、村指定文化財です。
村の情報広報と防災無線
(むらのじょうほうこうほうとぼうさいむせん)
現在は情報化社会です。毎日さまざまな情報が新聞やテレビ、ラジオなどを通じ、わたしたちの暮らしの中に入ってきています。村の情報は毎月一回発行される広報の他、防災無線があります。広報「しんとう」は、県下でも認められる質の高い紙面づくりで、広く村民に親しまれています。
恵み豊かな相馬山
(めぐみゆたかなそうまさん)
榛東村の北西端にそびえる相馬山は榛名の外輪山の一つで、1411mの高さがあり、村からはひときわ目立って高く望むことができます。相馬山は山岳信仰の霊山として、また雷雨を起こし水をもたらす山として信仰されてきました。万葉集にも相馬山の雷を読んだ歌が残っています。
桃井義胤ゆかりの八幡宮
(もものいよしたねゆかりのはちまんぐう)
新井八幡宮は、嘉禄2年(1226年)桃井義胤が鎌倉の若宮八幡宮を勧請して創建したと伝えられています。桃井氏は荘司として勢力が盛んであったから八幡宮を武神として崇敬したのでしょう。八幡太々神楽は村の無形文化財になっています。
薬師の厨子ある東光寺
(やくしのずしあるとうこうじ)
東光寺は文永元年(1264年)に創建されたと言われています。木造金箔の薬師如来を収蔵した間口118p、奥行102pの大きな厨子(東光寺の厨子)で、全体に黒漆を塗り、さらに彩色、金箔等を施したもので建物の形となっています。村の指定文化財になっています。
優美な獅子舞大宮神社
(ゆうびなししまいおおみやじんじゃ)
大宮神社は、欽明天皇の3年(541)に創建、武烈天皇を祀ったといわれています。獅子舞(大宮神社の獅子舞)の創設は、中世とも寛永年間ともいわれ、獅子頭は左甚五郎の作という伝承があり優美なものです。村の無形文化財になっています。
甦る縄文人の生活ぶり
(よみがえるじょうもんじんのくらしぶり)
平成元年から2年間、村内にある茅野遺跡が発掘され、縄文時代後期から晩期にあたる大規模な集落が確認されました。住居跡、水場、作業場状遺構及び多数の土器、石器、岩板、土偶等から縄文人の生活ぶりを想像することができます。
ランプの灯り村営キャンプ場
(らんぷのあかりそんえいきゃんぷじょう)
村有林内に昭和47年7月、教育キャンプ場が完成しましたが、その後平成4年8月に村営キャンプ場が建設され、より利用しやすくなりました。緑に杉林の中のキャンプ場には炊事場、トイレ、多目的広場等があり、自然に親しみながら楽しい体験ができます。
柳澤寺観音賑わう縁日
(りゅうたくじかんのんにぎわうえんにち)
柳沢寺観音の縁日は8月13日。正午ごろから賑わい始めて夜9時ごろが人出が頂点で、参道は村内外からの参詣者で溢れんばかりとなります。この縁日はお盆様への供え物を買い整える市として栄えてきましたが、近年は露店が出店するように変わってきています。
塁の跡しのばれる御堀遺跡
(るいのあとしのばれるおほりいせき)
桃井城跡」は、午王頭川と南城寺川に挟まれた台地上にあります。城は東西210m、南北190mの地域に西には半円形に空堀を備え、東には直線的は水堀を掘って午王頭川分流の河道と南城寺川とを結び、その中央よりやや南よりに大手虎口を備えて城の正面としていたと推定されます。
連打の響きふるさと太鼓
(れんだのひびきふるさとだいこ)
榛東村には「榛東ふるさと太鼓」という和太鼓を演奏する団体があります。村民文化祭、産業祭、音楽フェスティバルなどのイベントとして演奏、または村外にも出て活躍をしています。その勇壮な響きには圧倒されるほどです。
老後の生きがい生涯学習
(ろうごのいきがいしょうがいがくしゅう)
現在は「高齢化社会」。平均寿命の延びと共に生涯学習が唱えらてきました。学習は学校にいる時だけにあるものではなく、生涯続けるものです。学習や趣味が生きがいとなり明るい豊かな人生を送ることができます。本村でも公民館を中心にたくさんの人が学習を続けています。
和讃唱えて地蔵祭り
(わさんとなえてじぞうまつり)
「下の前地蔵祭り」は村の無形文化財になっています。地蔵祭りは、先祖の精霊供養、延命、子育て、雨乞い等祈願のために行われ、6歳から18歳までの男子が参加して8月14日、15日に行っています。御輿の前後に灯籠がつき太鼓、鐘が後について観音堂地蔵堂で和讃をあげ、各戸を廻ります。

榛東村のみどころ

榛東村ぶどう郷
 
八幡ホタルの郷