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大宮神社(長岡大宮)

由緒・祭神

小長谷若雀命。合併により宇迦之御魂神、菅原道真公、大物主命を合祀。欽明天皇の3年2月8日創建と伝えられている。この年に武列天皇を祀っていたという説がある。
こうした伝えが何時作られたかわからないが、とにかく古くから神社の伝えを創造したものであろう。当、大宮神社の名から小字名大宮が生まれたであろう。雲井坂、西帝、勅使街道、大内冠街道等の地名が呼ばれ、これから御諸別王の子、賀袁真稚(かおのまわか)命がか上毛野氏の一族有馬公の先祖で、この大宮神社を祭り、こうした祖先神を祭ったのではないかというのが神社の由来として考えられる。
また、武列天皇がこの里に行幸された時、その臣である大伴金村の一族、大伴森多が勧請したとも言われている。この森多が吉岡、山子田、長岡に多い「森田氏」の祖先であり、この地に住み着き神社を奉祭してきたのだという。

江戸時代も後半になり、こうした神社の伝承をまとめる意識が生じ、明治40年無格社の稲荷神社も合併した。境内末社は14社で、この内菅原社、稲荷社は明治40年に本社に合併した。

嘉祥年間(9世紀中ごろ)に兵火があり、社殿を焼失した、その社殿が大伴広好造立と伝えられている。棟札に貞享4年(1687)修理とあり、寛政4年(1792)新築をある。箕輪城主・内藤修理介昌豊(武田信玄の家臣)を初め、代々の領主の信仰が厚かったという。

なお、天正2年(1585)に大宮神社山林地に関白秀吉花押の安堵状が与えられている。

神社境内には以前は杉の老樹がうっそうと茂っていて昼なお暗い場所であったが、戦後伐採して桜を植栽した。

大宮神社獅子舞

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