| 榛東村文化財一覧(群馬県榛東村) | ||||
| 番号 | 文化財名称 | 解 説 | 指定区分 | |
| 1 | 茅野遺跡出土品一括 | 平成元年度、2年度に行われた茅野遺跡発掘調査によって発見された、耳飾りや岩版などで総数1,954点に上る。特に、土製耳飾りは577点を数え、「耳飾り館」の由来になっている。その他、東北地方を原産とする材料で作られた岩版や、石棒、石剣など、呪術に関わる特殊な遺物が多い。これらの出土品は、耳飾り館において保管・展示されている | ![]() |
国指定重要文化財 |
| 2 | 茅野遺跡 | 榛東村大字長岡字神薬師に位置する。竪穴住居、墓、湧水を利用する水場などで構成される縄文時代後期後半から晩期前半にかけての大規模な集落遺跡である。岩版や耳飾りを大量に保有していることなどから、当時の集団相互関係、物資の流通のあり方を考える上で貴重な資料を提供した。現在「茅野公園」として整備され、春は「ポピーの里」として観光客の目を楽しませている。 | ![]() |
国指定重要文化財 |
| 3 | 広馬場13区の地蔵祭り | 8月の盆会に青年達が地蔵神輿を担いで部落内を巡回し、先祖、子供の供養、願い事成就のために祭りを行う。神輿の制作は、水沢観音の建築に従事した大工の手によって18世紀後半に製作されたものと推定され、黒漆を塗り一部には金箔も施されている。 | 県指定重要無形民俗文化財 | |
| 4 | 高塚古墳 | 標高170m前後の小丘陵上に築造された全長61mの前方後円墳である。 石質は後円部南側で、ほぼ南に向かって開口する巨石使用の両袖型横穴式石室で全長約10mである。 出土遺物は、器財埴輪・人物埴輪・玉纏大刀などである。 |
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県指定史跡 |
| 5 | 孝経の碑及び文明の墓 | 文政2年(1819)に富沢文明らによって建てられたものである。碑は台石に乗った角柱で、高さ165cm、幅75m、その四面に古文孝経22章全文が刻まれていて笠石を含めた高さは285cmある。文明の墓は門弟たちが師の徳を慕って建てたもので富沢家の墓地にある。 | ![]() |
村指定文化財 |
| 6 | 東光寺薬師堂の厨子 | 東光寺にある。木造金箔の薬師如来を収蔵した間口118cm、奥行き102cmの大きな厨子で、全体に黒漆を塗り、さらに彩色、金箔等を施したもので屋根もあり、建物の形となっている。薬師堂の中に納められていて風雨の害から守られている。 | ![]() |
村指定文化財 |
| 7 | 柳沢寺縁起二巻 | 船尾山記一巻と船尾山柳沢寺所伝縁起一巻のことで、前者は寛政5年(1793)、後者は天保2年(1831)に書かれている。両者の内容は同一ではないが、「神道集」の中の「上野国桃井郷八ヶ権現事」という物語が、民衆の間に流布されるなかで生まれた物語である。 | 村指定文化財 | |
| 8 | 広馬場明細帳 |
この明細帳は、広馬場の村勢の概要を記して、領主に提出したものの控えである。 |
村指定文化財 | |
| 9 | 御堀地蔵堂の板碑 | 湯浅家の墓地、地蔵堂内に保管されている青石塔姿である。高さ68cm、幅38cm、厚さ3cmの緑泥片岩の表面に「南無多宝如来、逆修、応永5年」(1398)の銘文と梵字のほか、多宝塔が彫られている。死後の安楽を祈って供養を行い、その証として造立したものである。 | ![]() |
村指定文化財 |
| 10 | 大宮神社獅子舞 | 創設は中世とも、寛永年間ともいわれている。獅子頭は左甚五郎の作という伝承があって優美であり、舞は鹿島流といわれ、日挟流の分派とも見られている。舞曲数は38通りを伝承してきたが、現在舞われているのは10曲程である。雨乞祈願についての霊験碑が大宮神社境内に立てられている。 | ![]() |
村指定文化財 |
| 11 | 新井獅子舞 | 享保年間に創始したと伝えられている。北新井の獅子舞は明治の初め頃解散し、南新井のものが現在にまで伝承されている。構成は、棒使い2名、振付、かんかち、前獅子、中獅子、後獅子各1名、はやし方数名、世話人数名である。現在の舞曲数30程である八幡神社の秋祭りで奉納されている。なお春祭では、八幡太々神楽が奉納されている。 | 村指定文化財 | |
| 12 | 宿稲荷神社獅子舞 | 江戸時代文久年間の創始と伝えられ、獅子頭は神社を造営した際の彫刻師石原常造(勢多郡東村花輪の人)の作という。流派は稲荷流、華麗で、新規工夫のあとも見える。曲目は45通り、主なものは、三拍子、剣の舞、花吸い、牝獅子隠し、網切り、鞠がかり、岡崎などである。 | 村指定文化財 | |
| 13 | 常将神社太々神楽 | 常将神社の太々神楽は明治時代に一度消滅した。現在の太々神楽は、大正15年に広馬場聖宮神社から伝承したものである。 その後しばらくは非常に隆盛で近隣の神社からも招請されて奉納することが多かった。舞の数は36座あったが近年舞っているのは12座程である。 |
村指定文化財 | |
| 14 | 八幡宮太々神楽 | 新井八幡宮の太々神楽は、明治時代初め、 |
村指定文化財 | |
| 15 | 聖宮神社太々神楽 | 昔、領主桃井播磨守直常が家臣を引き連れて参拝し、神前に馬乗武術を奉納したと伝えられ、以後毎年4月15日に神楽を奉納する習わしとなったといわれる。明治の初め頃、神楽の振付に改革が加えられ他の神社へ伝承している。現在の舞の数は16座程である。 | 村指定文化財 | |
| 16 | 下の前地蔵祭り | 地蔵まつりは、先祖の精霊供養、健康、至福、子授け、雨乞い等祈願の為に行われる。6歳から18歳までの男子が参加して、8月14,15日に行っている。御輿の前後の灯籠がつき、その後ろに太鼓、鐘がついて観音堂、地蔵堂で和讃をあげ、各戸を回って和讃を唱える。 | 村指定文化財 | |
| 17 | 百々万遍供養塔 | この塔は、行者仏任が、前住職瑞忍和尚の菩提と先祖の仏果、信徒の除災、来祥を祈って文化6年(1809)江戸日本橋の商人や地方有力者により建立した。明治初年の廃仏毀釈に逢って破壊されたが明治33年長岡村中の寄進によって再建された。 | 村指定文化財 | |
| 18 | モクゲンジ | 所在 榛東村大字長岡466 指定 昭和61年5月22日 (旧第2区公会堂地内) |
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村指定文化財 |
| 19 | モミ | 所在 榛東村大字広馬場3647-2 指定 昭和61年5月22日 (黒髪神社地内) |
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村指定文化財 |
| 20 | アカマツ | 所在 榛東村大字広馬場3647-2 指定 昭和61年5月22日 (黒髪神社地内 |
村指定文化財 | |
| 21 | サルスベリ |
所在 榛東村大字広馬場乙861 指定 昭和61年5月22日 (宮昌寺地内 |
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村指定文化財 |
| 22 | ケヤキ |
榛東村大字上野原字吾妻山2 指定 昭和61年5月22日 (北十二地内) |
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村指定文化財 |
| 23 | イヌシデ |
所在 榛東村大字上野原字吾妻山2 指定 昭和61年5月22日 (北十二地内) |
村指定文化財 | |
| 24 | コナラ |
所在 榛東村大字上野原字吾妻山2 指定 昭和61年5月22日 |
村指定文化財 | |
| 25 | スギ |
指定 昭和61年5月22日 (北十二地内) |
村指定文化財 | |
| 26 | 下新井遺跡 | 下新井遺跡は県営林業試験場北西約0.8kmに位置している。昭和59年度圃場整備事業に伴い、発掘調査がなされた。その結果、検出された遺構はほとんどが縄文時代後・晩期のもので、調査区の中央部で配石遺構、それを取り囲むように住居址が認められた。出土遺物は、土器・石器などの生活用具をはじめとして、土偶などの儀礼のために用いられた遺物も多数検出された。 | ||
| 27 | 長久保古墳群 | 長久保古墳群は高塚古墳の南東約200mに位置している。昭和51年〜53年にかけて団地造営に伴い発掘調査が行われた。その結果、前方後円墳2基・円墳20基の計22基が確認された。出土遺物は須恵器・土師器などをはじめとして、大刀・耳環・玉類なども多数検出された。古墳の一部は緑地公園として現状保存されている。 | ![]() |
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| 28 | 御堀遺跡(桃井城跡) | 桃井城址は榛東村大字山子田に所在し、午王頭川と南城寺川にはさまれた台地上に立地している。城は東西約210m、南北190mの地域で西には半円形に空堀を構え、東には直線的な水堀を掘って、午王頭川分流の河道と南城寺川とを結んでいる。その中央よりやや南寄りに追手虎口を構えて城の正面としていたと推定されている。桃井城は足利系清和源氏・桃井氏が築いたとの説があるが、確認された遺構の多くは戦国時代に入ってからのものである。城跡内に、御堀五輪の塔がある。近くに湯浅家の墓所があり、その中には村指定文化財の御堀地蔵堂の板碑もある。 | ![]() |
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| 29 | 柳沢寺 本尊 阿弥陀如来 | 柳沢寺は推古天皇(593〜628)の御代、上野国司高光中将が立てたと伝えられ、別の伝説では嵯峨天皇の弘仁年中(810〜823)に伝教大師が東国へ巡教の際、この地方の武将満行が建てたともいわれている。古い由緒と伝説を持ち、多くの檀家を有する寺である。 境内には縁日や節分に賑わう千手観音のほか毘沙門天、伝説をもつ思河弁財天などがまつられている。観音様の参道は村道から上る石壇上に冠木門が立ち、参道の中程の石段上に山門がそびえ立っている。さらに山門の奥の石段を上った右側に延宝4年(1673)鋳建の梵鐘があり、参道の一番奥の杉木立のなかに古色蒼然とした観音堂がある。 | ![]() ![]() |
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| 30 | 柳沢観音の縁日 | 柳沢寺境内にまつられている千手観音の縁日は8月13日で、露店が立ち並び正午頃から賑わい始めて夜9時頃が人出の頂点となり、参道は村内外からの参拝者善男善女であふれる。この縁日は、お盆さまへの供え物を買い整える市として栄えてきたが、近年は他の縁日と同様の露店が出店するように変わってきた。 | ||
| 31 | 宮昌寺 本尊 釈迦如来 | 創建された年代はつまびらかではないが、伝説によれば伝教大師の創設による船尾山坊の一つであったが養和元年(1181)千葉常将によって船尾山坊が全部焼失した際、薬師如来がここの池に飛来したので、ここに寺を建てたという。文禄年間(1592〜1596)に箕輪城主井伊直政侯が田畑を寄進し、寛永8年(1631)双林寺の関徹禅師にお願いして曹洞宗に改宗し、宮昌寺と改称した。宮室山を北に負って寺域も広く柳沢寺に次ぐ名刹である。 | ||
| 32 | 字輪寺 本尊 阿弥陀如来 | 宝亀元年(770)伝教大師により開建され、弘仁12年(821)真雅僧正尊が寺号を改め、天台宗から真言宗に改めたという。住職は大正のはじめ頃無住となり、群馬町金剛寺住職の兼務となっている。境内の十一面観音は「群馬郡三十三番札所」の第一番となっている。 | ||
| 33 | 蓮花寺 本尊 不動明王 | 建立の由来は不明である。東京渋谷宝泉寺の末寺であったが、昭和4年に柳沢寺の末寺となり、真言宗から天台宗に変わった。境内に村の指定文化財「百々万遍供養塔」のほか「不許葷辛酒肉入界内」などの仏跡がある。 | ||
| 34 | 東光寺 本尊 阿弥陀如来 |
文永元年(1264)直舜法印が創建したといわれ、元禄16年(1703)柳沢寺の末寺となった。檀家は神薬師部落の一部が主体でその数は少ないが、東光寺境内の薬師如来は大字長岡一円を信者として参拝者が多かった。この薬師如来を納めている厨子は村の指定文化財である。 |
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| 35 | 桃教寺 本尊 地蔵菩薩 | 天文年間(1532〜1554)に柳沢寺の末寺として大周有法和尚が開山したという。一説には元弘年中(1331〜1332)に桃井郷の領主桃井義通が父尚義の供養を行ってこの寺を建立したともいわれている。 | ||
| 36 | 興徳寺 本尊 地蔵菩薩 | 八幡川、蛇ヶ見川の間の閑静な場所にある。天正6年(1578)に僧亮円が柳沢寺の末寺として建立したと伝えられているが、現在は無住で檀家も殆どいない状態で寺勢振るわない。 | ||
| 37 | 大福院 本尊 不動明王 | 保延6年(1140)京都三井寺の兵火を避けて当地に来た本覚院小野沢直覚が山伏修験聖護院の末寺として開建したという。その後、安中藩広馬場祈願所として民衆の信仰を集めた。ここには村指定文化財の広馬場明細帳をはじめ多数の古文書が保存されている。 | ||
| 38 | 柳沢寺の板碑 | 柳沢寺では最近二つの板碑が発見された。その大きい方の板碑は、下部が欠損しているが、長さ136cmもある大きなものである。鎌倉時代のものと思われ、本村最古のものであろう。小さい方の板碑は南北朝時代最後の明徳3年(1392)の銘が見える。 | ||
| 39 | 黒髪神社の石祠 | 神社裏手の一段高い所に表側に天神地祇と刻んだ石祠がある。この裏面に「弁慶公遺書」として次のような数字ばかりをつらねた歌が刻まれている。 八万三千八三六九三三四一八二 四五十二四六百千億十一 これは「山道は寒くさみしし、ひとつやに夜毎に白くももち置く霜」と読む。県下に2〜3例しかない珍しいものである。 |
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| 40 | 御堀の五輪塔 | 桃井城跡内にあり、近くには湯浅家の墓地もあり、その中には、村指定文化財の御堀地蔵堂の板碑もある。 五輪塔は中世(鎌倉時代〜室町時代)の地侍層の墓石として造立されたもので戦国時代や、その後の長い歳月のなかで消滅したものが多く、この村に残っているものは、ほぼ完形のもの十数基、部分のみのもの五十基程である。完形のものの中で大きいのが、御堀の畑の一隅にあるもの、大川の田の一隅や、八之海道富沢家墓地にあるものなどで120cm前後の高さがあるが、いずれも無銘である。 |
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| 41 | 大宮神社 | 欽明天皇の3年(541)に創建、武烈天皇を祀ったという。また、御諸別王の子、賀袁真雅命が上毛野の一族有馬公の先祖を祀ったともいわれている。社殿は嘉祥年間(9世紀中頃)兵火により焼失再建した。現在の社殿は大正10年の再建である。祭神は小長谷若雀命ほか3柱。大宮神社では大宮神社獅子舞が奉納されている。 | ![]() |
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| 42 | 常将神社 | 祭神は柳沢未縁起の主人公、千葉常将である。常将の夫人によって承歴3年(1079)山子田神田に社殿が完成したという。元禄14年に現在地に社殿を造営遷座した。享保17年に正一位将宮の宗源旨をうけ天保十五年、拝殿を再建したという棟札があった。現在の社殿は昭和25年に改築したものである。 | ![]() |
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| 43 | 八幡宮 | 嘉禄2年(1226)桃井義胤が、鎌倉の若宮八幡を勧請して創建したと伝えられている。桃井氏は荘司として勢力が盛んであったから八幡宮を武神として崇敬したのであろう。八幡宮は応永34年(1427)洪水によって流失して再建されたが、現在の社殿は明治41年に再建したものという。 | ||
| 44 | 聖宮神社 | 宝亀3年(772)京都より勧請したと伝えられている。また、のちに桃井播磨守直常が馬乗武術を奉納したという伝承もある。文亀元年(1501)神殿を再建し、慶長6年、井伊備前守が田畑八反歩を寄進し、寛永2年(1625)安中藩主板倉土佐守が神饌幣帛料を納めたという。祭神は大市比売命。 | ![]() |
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| 45 | 宿稲荷神社 | 在原業平もしくは箕輪城主長野氏ゆかりの神社と考えられ、藤原貞業なる者が京都伏見から勧請したといわれている。安政3年(1856)領主大久保忠昌が祈願所として備前長船の名刀を奉納している。 現在の社殿は江戸時代末期のもので、社殿を飾る見事な彫物は勢多郡花輪(東村)の彫師石原常造の手によるものである。 | ![]() |
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| 46 | 黒髪神社 | 相馬山は山岳信仰の霊山として厚く信仰されていた。しかし、険阻なため老人、婦女子には登拝困難なため里宮建立の気運が高まり南和十郎ほか地元の有志が発起人となり、山頂に社を造営したのち、明治20年現在地に神道修成派上野祠(黒髪神社)を成完した。節分、20年参りなどの祭典には講社によって村内は勿論、前橋、高崎方面からの信者で賑わう。祭神は大山祇命。 | ![]() |
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| 47 | 大山祇神社 | 11区部落の鎮守として奉祀されている。由来不詳であるが鳥居にある刻銘から約300年の歴史を有していることが推定される。付近には古墳も多く景勝の地にあり、数本の松の巨木が景観に風情を添えている | ||
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榛東村のみどころ |
榛東村ぶどう郷 |
八幡ホタルの郷 |