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道鏡を知る会ご案内
この会は、植松の郷土史家 山野としえさんが、郷土文化誌の「河内どんこう」(昭和50年[1975年])に『植松風土記』を連載されていた時期の、昭和55年(1980年)「続日本紀」の弓削道鏡と称徳女帝の竜華寺参拝のくだりと今の植松の歴史を紹介し、悪僧と世情呼ばれているとなり村の弓削出身の道鏡さんが、実は立派な学識を持った人物であることを紹介したことにはじまります。
当時、植松労働会館で道鏡さんの業績を調べ、参加者で勉強する集いを持ち、2ヶ月に1回の割合で道鏡さんの歩かれた道をたどる「道鏡を歩こう」を開催され、昭和61年(1986年)市民サービスコーナーで「高僧弓削道鏡展」を開催された頃から本格的な活動が始まりました。平成6年(1994年)9月、称徳女帝死後、道鏡さんが流されかの地で善政をひいたと伝えられる「下野の地」栃木県で活動されている「道鏡を守る会」(田村豊幸会長)との共催で、東京吉祥寺近鉄百貨店で「道鏡禅師資料展」を開催し、2,000人近い入場者があり、NHKテレビ等で取り上げられるなど、道鏡さんの役割を再評価するための行事は大好評をえました。
道鏡を知る会は、毎年4〜5回「道鏡を歩こう」と銘打って、道鏡さんにかかわる史跡や古代史遺跡などの見学会を開催しています。「道鏡を歩こう」は、昨年10月の例会で六十二回目を数えました。当初会員は、山野さんを中心に植松の人たちから始まりましたが、行事を重ねるごとに大阪市や京都府など他都市の会員も増え、最高時100名を超える会員の参加がありましたが、現在は幾島一恵新会長を先頭に30名ほどの会員で活動を続けています。
神護景雲3年(769年)10月、称徳女帝は道鏡さんを伴って、道鏡さんの故郷である河内国由義宮に来られ、大和川沿いの龍華寺に河内の商人たちを呼び集めて市を開かせ、官人たちの買い物風景を楽しんだといわれます。また、天皇は龍華寺に綿二万屯(とん)、塩三十石を寄進しました。
翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕したとの記録が残されています。(続日本紀)
植松渋川神社の前の観音が当時の龍華寺であることや、渋川神社の前一帯の地域が「市の町」と今も呼ばれていることなど、私たちの身近なところに道鏡さんが活躍した名残が存在しています。
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八尾市が生んだ偉大な人物、道鏡さんの真の姿を再発見し、称徳女帝と道鏡さんの清らかな恋に思いをはせて道鏡を知る会は今年も活動を続けています。
道鏡を知る会 代表 幾島一恵 |
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