2011.8.22
先日、僕の農業の師匠が亡くなった。
新聞社を辞めてすぐ農業の研修でお世話になり、
以降、農業を辞めてからも今までずっと色々とお世話になってきた。
兄弟子から入院したという連絡を受けてまもなく
本人から「胃がんで入院したので暇になったら寄ってね!」
「手ぶらでカモーン!」などとポップなメールがきて2週間後の急な訃報。
お見舞いに行ったとき、確かに痩せて声も少しかすれて
心配はしていたけど、まさかこんなに早く逝ってしまうとは。
お通夜、お葬式に足を運び、
亡骸となった師匠の顔も見たけど、まだ実感がない。
斎場へ行って最後の姿を見ても、わからない。
表情が安らかできれい過ぎて、そんな師匠の顔見たことがない。
いつも活気があってギラギラしてたから。
だから、目の前の無口な人が師匠だとは思えない。
ご家族が悲しむ姿を見て、声を詰まらせることはあっても、
師匠が亡くなったという実感があまりにもないためか
不思議と涙はあまり出なかった。
ただ、ちょっとぼーっとしてしまう瞬間瞬間があるだけ。
あの人がいない世界を小さなピンホールから覗こうとして、
はっきりと見えなくてぼんやりしている。
亡くなって数日経ったいまも、まだはっきりしない。
心に開いた小さい穴でもあるようで、そこから息が漏れるような感じ。
たぶん、これからそれが少しずつ大きくなって、ふさぐこともなく
そのまま残り続けるんだろう。
いい意味で僕の人生を狂わせてくれた人だった。
間違いなく僕の中の大きな部分を占めた人だった。
いまでも「野菜取りにきてね~」なんてメールがきそうだけど、
師匠の畑に行って、あの人のいない畑を見てはじめて
もう二度と会えないことを実感してしまいそうでなんだか怖い。
いつか、また手ぶらで会いに行きたいなぁ。